観光案内書として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:04 UTC 版)
『浅草紅団』は、小説としては未完の様相で、作者の川端自身、浅薄な作品であったとしているが、同時に当時の多くの読者を「浅草」へ誘った作品として、自作を再評価し位置づけている。 川端は続編の『浅草祭』執筆する際には、前編『浅草紅団』を読み返すのに4日間も費やし、〈嘔吐を催すほど厭であつた〉とし、〈なぜこんなものの続きを書くつもりになつたかと後悔した。しかし実際、「浅草紅団」がこれほど下らない作品とは、私自身夢にも思はなかつた〉と自己反省をしたが、その17年後の回想文では、『浅草紅団』を好意的に捉え、『伊豆の踊子』が人々を天城越えの旅に誘ったのと同じように、『浅草紅団』が実際に人々を浅草へ誘ったことは、つまらないことだがそれなりに価値があったと、解釈し直して、〈作品のほんたうの働きは精神の内面に宗教的に働かねばならないのだが、私の作品の働きにも、ほんたうの働きに到る一つの入口はほの見えてゐるのかもしれない〉と前向きにとらえている。 川端は『浅草紅団』のために作った取材ノートの10分の1あるいは20分の1も活用できなかったとしているが、自作が浅草の見聞記として歴史的に残るものと確信している。 浅草の生活記、風俗記としては甚だ浅薄なのは自分も認めるが、それでも尚、浅草の見聞記、印象記として、恐らくこの作品は不滅であらうと考へてゐる。文学的興味以外の点でも、後世に読まれるにちがひない。 — 川端康成「『浅草紅団』続稿予告」 1980年代からは、昭和初年代の風俗が綴られた都市文学として『浅草紅団』は新たな評価がなされ出し、2005年(平成17年)には、時を隔ててアメリカで翻訳された。増田みず子は『浅草紅団』を、「浅草観光の上級あるいはマニア向けコースの案内」で、川端が書いているために実にすぐれた観光案内書としても読めるとし、「現在でもじゅうぶんに残っている浅草独特のあやしい雰囲気をあじわうことが可能である」と解説している。
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