観光旅行としての世界一周
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 06:28 UTC 版)
「世界一周」の記事における「観光旅行としての世界一周」の解説
1816年にアメリカのブラック・ボール・ライン社がニューヨークとイギリスリバプール間の大西洋航路の定期船運航を開始し、その後、パナマ経由のニューヨーク・サンフランシスコ航路を運航していたアメリカのパシフィック・メール社が、1867年1月1日から、サンフランシスコ・横浜・香港をつなぐ定期船の太平洋航路を開設した。これにより、イギリスなどヨーロッパから東回りで東アジアへ進出していた航路と太平洋航路が横浜・香港で合体することになり、定期蒸気船航路を乗り継ぐことによって誰でも地球一周旅行が可能になった。1869年にスエズ運河とアメリカ大陸横断鉄道が完成すると、世界一周旅行はさらに容易になった。これにより、商業的な世界一周旅行が始まり、長く西洋にベールを閉ざしていた日本が開国したばかりであったこともあり、19世紀末には欧米の冒険家や裕福な観光客の新しい旅先として日本が人気となった。 トーマス・クックは1872年に世界初の世界一周団体旅行を敢行した。9月26日に8人の団体客でリバプールから船でニューヨークへ行き、鉄道でサンフランシスコへ、船で横浜へ、東京周辺を観光したのち、船で大阪、長崎、上海、シンガポール、マドラス、カルカッタまで行き、鉄道旅行ののちボンベイから船で、紅海、スエズ運河、地中海を通って、鉄道でリバプールへ戻った。222日間の旅行だった。この間にジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が出版されたこともあり、世界一周旅行熱が加速し、ネリー・ブライ、エリザベス・ビスランド、ジョージ・フランシス・トレイン、ジョージ・グリフィスら、時間を競う世界一周旅行者も現れるようになった。
※この「観光旅行としての世界一周」の解説は、「世界一周」の解説の一部です。
「観光旅行としての世界一周」を含む「世界一周」の記事については、「世界一周」の概要を参照ください。
- 観光旅行としての世界一周のページへのリンク