覚せい剤取締法施行後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:21 UTC 版)
そして、遂に1951年に覚醒剤取締法が制定され、施行され、医療用と研究用に制限された。しかし、まだ密造の覚醒剤が流通した。1954年(昭和29年)には、覚せい剤取締法の罰則が、懲役3年以下から5年以下へと強化された。同年55,664人の検挙を経て、3年後には1000人を下回り、医薬品の軍部からの流通から生じた第一次覚醒剤乱用期は終息を迎えた。 1954年には、経験者200万人、使用者50万人から100万人、中毒者20万人とされ、9月に東京大学医学部附属病院神経科に覚醒剤中毒での入院があり、翌々年には東京都立松沢病院に入院があり、年々で136名まで増えていった。 しかし、取締りは逆に暴力団に流通を握らせることとなった。覚醒剤自体は非常に安価に製造できるが、取引が非合法化されているため闇ルートでの流通となり、末端価格(小売価格)は数百倍にも跳ね上がる。 1970年(昭和45年)には、再び検挙数が1000人を超え、主に韓国ルートの密輸が増加し、他に台湾、タイ、マカオからである。1973年には罰則が懲役10年以下に強化され、1976年には検挙者が1万人を超えた。第二次覚醒剤乱用期となり、価格が高く、暴力団や水商売回りに乱用が流行した。 1980年代後半以降は芸能人・ミュージシャンなどの知名度や影響力の高い人物が覚醒剤使用で検挙されるケースも後を絶たず、繰り返しセンセーショナルな社会的話題となっている。 そして1995年から検挙数が増加し第三次乱用期とされ、携帯電話が普及し、元締めは暴力団だが末端の販売員がイラン人や友人となり暴力団関係者と接触せずに入手されるようになった。同年にはオウム真理教が「修行」として覚醒剤を密造し信者に投与していたことが発覚し問題となった。 近年では、北朝鮮・台湾・トルコなど各地からの密輸も相当量あるといわれ、特に北朝鮮のそれは同国の主要な外貨獲得手段となっていると指摘されている。中学生・高校生が栄養剤感覚や痩せ薬感覚で手を出したり、主婦がセックスドラッグと騙されて服用するケースも増加し、薬物汚染として社会問題になっている。2005年、覚醒剤所持で逮捕された衆議院議員・小林憲司(当時民主党)が、衆議院議員在職中にも覚醒剤を使用していたことが判明し、国民に大きな衝撃を与えた。 依存症が治療されず、覚醒剤の乱用が50年以上続いている稀有な国である。国際的には「刑罰ではなく治療」というのが主流となっているが、日本では精神医療の専門家でも「厳罰化」を唱えることがある。
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