西洋における反オナニーの歴史とは? わかりやすく解説

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西洋における反オナニーの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 23:29 UTC 版)

オナニー」の記事における「西洋における反オナニーの歴史」の解説

17世紀以前にはオナニーを罪とみなす宗教者言説はあるが、オナニーそのものへの言及はさほど多くないともされる西洋では「固まりミルク」と称して少年たち精液飛ばし合いっこをしていた。16 - 17世紀主流をなしていたガレノス医学では、オナニーはむしろ奨励されていた、ともいう。ただし宗教者の中では、たとえ健康のためであっても自然に反する行為であって許されない、という意見主流であったという。 反オナニー人口に膾炙するきっかけになったのは、1715年出版された『オナニア』(著者匿名であった同書オナニー有害性道徳面よりも医学面において特に強調し著者独占販売権を握るというオナニー治療効果的な購入呼びかけていることから、金儲け同書刊行の目的だった。1760年頃には、スイス医師ティソDe Morbisex Manustuprationeを、1764年には『オナニスム』を出版する。これは、ヨーロッパ中に名声博していた臨床医による、医学面からの有害性訴えた本であり、ドイツの哲学カントは『教育学』(1803年)において自慰有害性主張し、またルター有害性主張するなど、ティソオナニー有害論は広く影響与えた。 反オナニー19世紀半ば最高潮に達する医師である彼の学説」によって道徳以上に医学面での有害性強調された。原因不明多く疾患が、オナニーにより引き起こされるみなされた(くる病関節リューマチ肺炎慢性カタル視覚聴覚の衰えなどなど)。1882年フランス精神病医専門誌における「二人の少女神経障害伴ったオナニズムの症例」というデミトリオス・ザムバコ医師による論文に、医学アカデミー会員ゲラン医師示唆により、女性器焼き鏝焼却する脅したことや、ゲラン医師何人も女性に、その焼却治療施し結果得ていたことが記されていた。 (反オナニーを含む)セクシュアリティ統制にはナショナリズムの台頭影響している。18世紀以降西ヨーロッパ諸国(独英仏伊)では、下層階級からも貴族階級からも自らを差別化ようとする中産階級価値観、リスペクタビリティ(市民的価値観)が生まれる。18世紀以降ナショナリズムは、この中階級作法道徳吸収し、全階級広めた。その鍵になるのはセクシュアリティ統制であり、「男らしさ理想」である。ここにおいてマスターベーション耽るオナニスト顔面蒼白、目が落ち窪み、心身虚弱な人間表象され、男らしい闘争社会的達成という国民的ステレオタイプとは相容れないとされた。 またデュシェは、オナニーという私的な空間行われる行為禁止通じて私的な空間そのもの監視しようという社会欲望指摘している。 1939年にはカルノー医師により性教育面での言及が行われ、1968年を境に、セクシュアリティについての社会的見解変化起こったといわれる

※この「西洋における反オナニーの歴史」の解説は、「オナニー」の解説の一部です。
「西洋における反オナニーの歴史」を含む「オナニー」の記事については、「オナニー」の概要を参照ください。

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