蘭印作戦以降
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続いて蘭印作戦が開始された。蘭印作戦参加部隊はダバオに集結し、長良は1942年1月2日に到着した。長良は第一根拠地隊の一部とともに東方攻略部隊の第一根拠地部隊(指揮官は第一根拠地隊司令官久保九次少将)を編成し、その旗艦であった。 東方攻略部隊の最初の攻略目標はメナドであった。長良は1月9日にマララグ湾より出撃し、攻略部隊に合流して1月11日にメナド沖に到着した。この間、長良はマララグ湾の湾口では潜望鏡らしきものを発見、メナドの北西約40海里では浮上潜水艦を発見して攻撃している。メナドの攻略は1月11日に行われた。根拠地部隊はバンカ泊地の防備作業を行い、長良から久保少将がそれを指揮した。1月14日にモルッカ海で潜水艦30隻発見との報告があったことから掃討が行われ、長良もメナド東方に出撃したが、結局何も見つからず、潜水艦発見の報告の大半は鯨を誤認したものとされた。 メナドの次はケンダリー攻略であった。ケンダリー攻略では第十五駆逐隊、第十六駆逐隊などが第一根拠地部隊に加わり、久保少将が攻略部隊の指揮をとった。攻略部隊は1月21日にバンカ泊地から出撃。1月24日に上陸が行われた。1月25日、雨で視界が悪い中、ケンダリーへ向かっていた駆逐艦初春が21ノットで長良の右舷中央部付近に衝突する事故が発生し、長良で重傷者2名がでた。久保少将は駆逐艦初霜に移り、長良はダバオで工作艦明石による修理を受けた。 修理完了後、長良は2月2日にバンカ泊地に着き、マカッサル攻略に参加することとなった。久保少将は長良に戻った。マカッサル攻略に参加するのは長良の他第一根拠地隊の大半や第二十一駆逐隊、第八駆逐隊、第十五駆逐隊などであった。攻略部隊は順次スターリング湾に集結し、2月6日に出撃した。途中、攻略部隊はアメリカ潜水艦の攻撃を受け、スカルピンによる攻撃は外れたが、S-37の雷撃で駆逐艦夏潮が沈没した。上陸は2月9日に行なわれ、マカッサルは占領された。長良は2月13日にスターリング湾に戻った。 第一根拠地部隊の次の作戦はバリ島攻略であった。この作戦では長良は第二十一駆逐隊(駆逐艦1隻を除く)とともに作戦支援にあたる支援隊であった。攻略部隊は2月18日にマカッサルから出撃し、2月19日に上陸が行われたが同日夜連合国艦隊が泊地を襲撃しバリ島沖海戦が発生。セバチャン島東方にあった支援隊は急行したものの戦闘には間に合わなかった。 2月17日には長良はイギリス潜水艦トルーアントから魚雷攻撃を受けたが、損害はなかった[要検証 – ノート]。 続いて第二次バリ島輸送作戦が行なわれ、長良も参加。作戦部隊は2月23日にマカッサルから出撃。2月24日、スラバヤの北に巡洋艦1隻、駆逐艦3隻発見との報告があり長良などはバリ島・カンゲアン諸島間へ向かったものの会敵はしなかった。 3月15日の兵力部署改定で長良はニューギニア攻略部隊に加えられていたが、4月10日予定の戦時編制改定で長良は空母警戒隊の第十戦隊に編入されることとなったため、拘束期間の短いクリスマス島攻略部隊に移された。クリスマス島攻略には長良の他に軽巡洋艦那珂や名取等が参加し、攻略部隊は3月29日にバンタム湾から出撃。3月31日にクリスマス島に到着し、軽巡洋艦3隻の水偵は爆撃を行なった。上陸は成功したが、那珂が潜水艦の雷撃で損傷した。 4月10日、「長良」は第一航空艦隊第十戦隊に編入された。4月11日に舞鶴に入港し、同地で修理を実施。この際、艦橋前の13ミリ4連装機銃の九三式13ミリ連装機銃1基への換装などが行われた。 5月にはMI作戦に備えて柱島へと移動し、5月26日に第一機動部隊(南雲機動部隊)警戒隊旗艦として柱島を出港、6月5日のミッドウェー海戦に参加した。ミッドウェー海戦で旗艦赤城が2発の命中弾と1発の至近弾を受けて、味方駆逐艦の魚雷で雷撃処分された後、南雲忠一中将以下の第1航空艦隊司令部が移譲、旗艦となった。
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