蘭印・ニューギニアでの活動とは? わかりやすく解説

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蘭印・ニューギニアでの活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:03 UTC 版)

球磨 (軽巡洋艦)」の記事における「蘭印・ニューギニアでの活動」の解説

球磨9月22日マニラ出港9月24日香港着いた9月25日附で第三南遣艦隊除かれ第16戦隊(第二南遣艦隊所属)に編入される香港で第38師団乗船させ(球磨には153乗船)万光と共に26日香港出港パラオ経由し10月10日ニューブリテン島ラバウル着、部隊下船させた。球磨同日ラバウル出港しバリクパパン経由18日セレベス島マカッサル到着し第16戦隊に合流した。 そして1943年昭和18年4月13日までマカッサルでの哨戒と、ラバウルニューギニア島カイマナ(英語版)・カブイ(英語版)への増援輸送行った1943年1月9日アンボン沖で軽巡洋艦名取アメリカ潜水艦雷撃され損傷。その直後対潜哨戒であった球磨搭載機潜航中の潜水艦発見して爆撃行い1発が至近となった爆発しなかった。長期間の使用により信管内の火薬湿ったことが不発原因であると推定された。 1943年4月28日から5月25日まで、球磨シンガポールの第101工作部(セレター(英語版海軍基地)で整備工事行い6月23日まで蘭印諸島周辺哨戒行った1943年6月23日マカッサル第16戦隊の鬼怒大井、北上および球磨アメリカ第5空軍319飛行中隊90爆撃隊(H)のB-24爆撃機17機による攻撃受けた。翌6月24日第16戦隊の旗艦鬼怒から球磨移され鬼怒修理のため日本帰投した。球磨10月23日まで蘭印諸島周辺哨戒行った球磨10月23日よりシンガポールの第101工作部改装工事行い5番(14cm)主砲射出機デリック撤去25mm3連装機銃2基装備し25mm機銃合計10挺(3連装2基、連装2基)となった球磨改装工事11月12日完了した

※この「蘭印・ニューギニアでの活動」の解説は、「球磨 (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「蘭印・ニューギニアでの活動」を含む「球磨 (軽巡洋艦)」の記事については、「球磨 (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

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