蘭印・ニューギニアでの活動
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「球磨 (軽巡洋艦)」の記事における「蘭印・ニューギニアでの活動」の解説
球磨は9月22日にマニラを出港、9月24日香港に着いた。9月25日附で第三南遣艦隊を除かれ、第16戦隊(第二南遣艦隊所属)に編入される。香港で第38師団を乗船させ(球磨には153名乗船)万光丸と共に26日香港を出港、パラオを経由し10月10日にニューブリテン島ラバウル着、部隊を下船させた。球磨は同日ラバウルを出港し、バリクパパンを経由、18日にセレベス島マカッサルに到着し、第16戦隊に合流した。 そして1943年(昭和18年)4月13日までマカッサルでの哨戒と、ラバウルやニューギニア島カイマナ(英語版)・カブイ(英語版)への増援の輸送を行った。1943年1月9日、アンボン沖で軽巡洋艦名取がアメリカ潜水艦に雷撃され損傷。その直後、対潜哨戒中であった球磨搭載機が潜航中の潜水艦を発見して爆撃を行い1発が至近弾となったが爆発しなかった。長期間の使用により信管内の火薬が湿ったことが不発の原因であると推定された。 1943年4月28日から5月25日まで、球磨はシンガポールの第101工作部(セレター(英語版)海軍基地)で整備工事を行い、6月23日まで蘭印諸島周辺の哨戒を行った。 1943年6月23日、マカッサルで第16戦隊の鬼怒、大井、北上および球磨はアメリカ第5空軍第319飛行中隊第90爆撃隊(H)のB-24爆撃機17機による攻撃を受けた。翌6月24日、第16戦隊の旗艦は鬼怒から球磨に移され、鬼怒は修理のため日本へ帰投した。球磨は10月23日まで蘭印諸島周辺の哨戒を行った。 球磨は10月23日よりシンガポールの第101工作部で改装工事を行い、5番(14cm)主砲、射出機とデリックを撤去、25mm3連装機銃2基装備し、25mm機銃は合計で10挺(3連装2基、連装2基)となった。球磨の改装工事は11月12日に完了した。
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