蓮舫代表時代
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蓮舫執行部において、蓮舫の所属する野田グループ(花斉会)の会長である野田佳彦前内閣総理大臣を幹事長に、代表代行には細野豪志元環境大臣・安住淳前国対委員長・江田憲司(留任)の3人を、政調会長には大串博志前政調会長代理を、国対委員長には山井和則前国対委員長代理、選対委員長には馬淵澄夫元国土交通大臣を起用した。また、前原に対して党顧問への就任を打診したが、前原は辞退した。9月21日開催の両院議員総会において、新執行部の人事案の採決が行われこれを了承。これにより、蓮舫体制の新執行部が正式にスタート。また、同じ日には台湾民進党院長(国会議長)の蘇嘉全らと会談・交流し、蓮舫選出に関して祝意を受けた。 蓮舫体制下では初陣となる10月23日実施の衆院補選の公認候補として、東京10区に元NHK記者の鈴木庸介を、福岡6区に元在インド・チェンナイ日本総領事館職員の新井富美子を、それぞれ擁立することが常任幹事会で決定された。なお共産党は、福岡6区に候補者擁立を表明したが、それと同時に民進党側と野党共闘に向けた協議を始める方針を表明し、協議の結果次第では、4月の北海道5区補選と同様に擁立を取り下げる可能性も示唆した。また東京10区でも公認候補を擁立しているが、野党共闘に前向きな姿勢を見せており、民進党側に対し候補統一に向けた協議を呼びかける意向を示している。また、社民党も民進党側に対して、野党統一による候補者一本化に取り組むよう求める方針を示した。なお、この10月補選について蓮舫は「これまでの基本的枠組みを維持しながらどういう形ができるのかこれから詰めたい」と野党共闘を続ける考えを示した。その一方、政権選択となる次の衆議院選挙については「綱領の違う党とは連立しない」ことを強調した。 10月5日に行われた野党4党(民進・共産・社民・生活)の書記局長・幹事長会談の場で福岡6区は民進党・新井で一本化する事で合意に達し、共産党・小林は翌6日に立候補取り下げを表明、また東京10区は民進党・鈴木で一本化する事で合意に達し、共産党・岸は立候補取り下げを表明した。 10月16日投開票の2016年新潟県知事選挙では、日本共産党、自由党(「生活の党と山本太郎となかまたち」より改称)、社会民主党の「野党3党」および新社会党、緑の党から推薦を受けた米山隆一(民進党出身でもある)が出馬。民進党は連合との意思統一がまとまらず表向きは自主投票であったが、実際は蓮舫をはじめ多数の所属議員が米山の応援に入った。選挙結果は、米山が自公推薦の候補を破って当選した。 10月23日、2選挙区(東京10区・福岡6区)の補欠選挙が投開票され、いずれも与党系候補(福岡6区は無所属候補が当選後に自民の追加公認を受ける)に2連敗。 2017年2月14日、同年夏の東京都議会議員選挙に向け、民進党東京都連は、都議会にある会派のうち、これまで統一されていなかった民進党系の2つの会派、旧・民主党系の「都議会民進党」と旧・維新の党系の「民進党都議団」を合流。新会派「東京改革議員団」を結成。 3月12日に、民進党として初の党大会を開催。 4月10日、党の保守系議員である長島昭久は、共産党を含む共闘路線が採用され、党の基本政策にまで影響を及ぼすことになったことは受け入れがたいとして離党を表明し、受け入れられず除名された。同月13日には細野豪志が党代表代行を辞任、8月8日には離党届を提出した。また、8月1日には「民進党は選挙協力の名の下に左に寄っている。」として離党届を提出していた藤末健三参議院議員を除籍した。
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