蓮池村蓮池町とは? わかりやすく解説

蓮池村・蓮池町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:25 UTC 版)

蓮池町」の記事における「蓮池村・蓮池町」の解説

この間、旧蓮池藩領は大区小区制明治5年1872年)のもとで「第10大区第1小区となった。旧蓮池城城下町周辺では、城館郭内)と城原町・神埼町あわせた蓮池村」、蓮池本町魚町西小路あわせた東西」が編成されそのほか旧領は「見島村」「小松村」「古賀村」がおかれた。 歴史的に蓮池城所在地佐賀郡属していたのだが、旧蓮池藩領地は隣の神埼郡多く分布していた。そのため明治17年1884年)には、旧蓮池城一帯神埼郡所管移された(郡区町村編制法参照。)。その後明治22年1889年)に町村制敷かれると、全域神埼郡蓮池村となった。このときに蓮池村大字として、「蓮池」(旧蓮池村旧東西村)、「見島」(旧見島村)、「小松」(旧小松村)、「古賀」(旧古賀村)が設けられた。明治末期明治43年1910年)の記録では、当時蓮池村775戸、人口5409人となっている。 大正3年1914年)からは電灯整備始まった経済農業主体で、米、ビール用の麦、大豆玉ねぎなどが主な農産物だった。蒲田津では原料とする肥料生産盛んに行われていた。佐賀市中心部通じ街道蓮池往還)に沿って商店や宿、法務局郵便局駐在所立ち並んでおり、商業では蓮池魚町サツマイモ取引地として知られていた。蒲田津は年末になると五島列島から下関に至る各地商人集まり海産物肥料木炭などの取引が行われて賑わった。交通・輸送佐賀江の水運主力で、蓮池魚町蒲田津に船着き場設けられていた。最後蓮池藩主で明治初期蓮池県知事務めた鍋島直紀は、蓮池県伊万里県に統合され知事職を免ぜられた際に、蒲田津から船で東京へ旅立っている。 大正12年1923年)には、村内鉄道肥筑軌道)が開通した。この路線佐賀駅久留米を結ぶ計画設立され、その一部分として蓮池村中心部付近の約6.6 km区間開業したのである村内には、蓮池蓮池公園小松蒲田津、小鹿停車場ができ、隣の崎村終点となっていた。しかしこの路線はまもなく不振に陥り、昭和9年1934年)に廃業してしまった。現在でも沿線川底柱脚遺構として残っている。 人口変遷和暦 西暦 世帯数 人口 出典 明治43 1910 775 5409 大正11 1922 748 4040 昭和01 1926 762 4244 昭和10 1935 755 4096 昭和30 1955 822 4479 平成07 1995 652 2230 平成19 2007 675 1925 平成27 2015 640 1688 昭和10年1935年)に蓮池村が町制を施行し蓮池町はすいけまち)となった当時の町の規模755世帯4096となっている。 蓮池町時代には、農業団体組織化学校整備が行われた。昭和30年1955年)には町営簡易水道整備された。

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