著述・発言に関するもの
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各地での講演活動や新聞・雑誌などでの著述活動にも積極的であり、エッセーなどをまとめた著書も複数出版している。 独身時代の1976年(昭和51年)に『スター千一夜』(フジテレビジョン)、1977年(昭和52年)には『徹子の部屋』(テレビ朝日)といったトーク番組に出演した他、1980年(昭和55年)に結婚した後には、信子妃と共にテレビのバラエティー番組に出演したこともある。 1975年(昭和50年)10月28日には午前1時から2時間、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」で生放送のディスクジョッキーを務めた。「トモさんのオールナイトニッポン!」の第一声で始まったこの番組は、スタジオで、横に番組ディレクターが座り次々に造るウィスキーのオン・ザ・ロックを飲みながら、皇室、自身の身の上話、初恋の話、福祉の話などを、イギリス留学中にラジオでよく聴いたというビートルズの『ヘイ・ジュード』などの音楽を交え、2時間に渡り喋った。放送を聞いていた弟の憲仁からは、「二時以降は呂律が回っていなかった」と指摘された。放送の中で、自身の皇位継承順位が7位であるという数字を気に入っているから、「皇太子妃美智子(当時)はもうこれ以上男子を産まないでくれ」と口にした。黒柳徹子から、宮内庁職員は番組について何と言っていたのかと尋ねられて、「別にもう…諦めてるんでしょうな、おれのことについては」と答えている。 1981年(昭和56年)4月には文化放送で障害者福祉を紹介した「あすを明るく~ハッピーモーニング」のパーソナリティを務めた。 2007年(平成19年)10月にはニューヨーク・タイムズのインタビューに答え、「学習院時代には山手線に乗って通学した」「朝鮮学校の生徒に因縁をつけられることもあった」などと青春時代を回想した。「彼らは学習院の制服を見つけると、いつも襲いかかってきたものでした」との発言も記録されている。同インタビューにおいては人格否定発言に対しても触れ、「手紙に返答していれば、いくらかの進展はあったのではないかと思うが、意見を述べたことに対しての礼を述べる返事しか来なかった」と徳仁親王に発言について説明するよう長文の手紙を送ったものの、礼状程度の返事しか返ってこなかった為に事の進展がなかったという趣旨の発言をしている。またアルコール依存症を公表した事に触れ「皇室はストレスの塊」と述べた。
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