美術と文学
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イスラーム美術にはさまざまな源泉が用いられており、中でも文学との関係が深い。フェルドウスィーにより10世紀初頭に作られた国民的叙事詩『シャー・ナーメ』(『王書』)や、ニザーミーの『5つの詩』(もしくは『ハムサ』。12世紀)といったペルシア文学が写本芸術のみならず美術品(陶芸、絨毯など)のモチーフの源となっている。特に、権力者たちは自分の伝記物語よりも『シャー・ナーメ』の豪華な写本を作らせるのが常であった。スーフィズムの詩人サアディーの『薔薇園』(1258年)やジャーミーの『7つの王座(英語版)』(1472年-1485年)を表現したものも多い。14世紀初頭に宰相ラシードゥッディーンにより編纂された『集史』は、イスラーム世界全体で数多くの表現の支えとなっている。ペルシア語はムガル帝国やオスマン帝国でも宮廷語となっており、ペルシア文学の写本が作られた。 ペルシア語以外の作品には、インド起源の寓話『パンチャタントラ』をイブン・アル=ムカッファがアラビア語に翻訳した『カリーラとディムナ』(8世紀)、アブル・ファラジュ・イスファハーニーがアラブ詩歌と詩人の伝記を集めた『歌の書(英語版)』(10世紀)、アル・ハリーリーの『マカーマート』(11世紀)、フワージュ・キルマーニーの『詩選集』(1331年)などがある。これらのテクストに工房で挿絵が施された。なお『千夜一夜物語』は879年までには原型が出来ていたが、イスラーム世界の歴史的な挿絵入り写本は現存しておらず、19世紀以降のものがあるのみである。
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美術と文学
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この両者のつながりを様々な芸術が追い求めてきた。例えばギ・ド・モーパッサンは偏執的なこだわりをみせ、なかでも中編小説『脂肪の塊』では主人公の娼婦に果物のイメージを重ね、性愛と食事をむすびつけることで作品のテーマを構築している。1998年のアート・ショウ「響き(Reflect)」に並んだモナリ・メヘル(Monali Meher)の作品は、食と性の関係をはじめ、窃視症やステロタイプ、消費者運動、自由や広告といったテーマを内包していた。また食と性の関係をとらえた19世紀から20世紀にかけてのアメリカの芸術作品を展示する試みが1991年にニューヨーク歴史協会で行われている。 あの日彼女が着ていたのは、一度見たことがあるかわいいプリント地のワンピースで、スカートはたっぷりして腰から上はきつく、半袖で、ピンク地に濃いピンクの格子縞が入り、配色を完成させようとして彼女は唇を塗り、窪んだ両手の中に、美しく、陳腐で、エデンの園みたいに真っ赤なリンゴを持っていた。 “ ” ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』若島正訳、新潮文庫、2006年 103頁
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