細菌説と環境説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 01:36 UTC 版)
一方、この医学的な流れとはまったく独立に、17世紀にレーウェンフックが顕微鏡を用いてさまざまな微生物を発見し、細菌学(微生物学)という学問分野が開拓された。ただし当時の細菌学は博物学的な研究を中心としたものであり、これらの微生物が、人間の生活と何等かのかかわりを持つとは、全く考えられなかったようである。18世紀の終わり頃には、微生物学の進展に伴って、既に伝染病患者の病理組織や血液、糞便などに特定の微生物が存在するという知見が積み重ねられ、コンタギオン説を支持していた医学研究者にとって重要な論拠になっていた。しかしながら、当時はまだ細菌を分離して純粋培養するための技術が確立していなかったため、ミアズマ説支持者の反論をかわすことができず、決定的な証明には至らなかった。 19世紀になって、ルイ・パスツールは細菌の液体培養法を確立したことで、細菌学の進展に大きな貢献を果たした。当初、彼は医学ではなく醸造学の分野から発酵の研究に携わり、そこから自然発生説の検証へと進んでいったが、微生物の活動が意外に大きな影響力を持つこと、それが空気中などに多数飛散していることを明らかにし、それらが発酵などの役に立つ面と、食品の腐敗などの有害な面の、両方の面からヒトの生活に関わっていることを見いだした。さらに彼は、この考えを医学の方向にも発展させ、微生物が作り出す腐敗物質が一種の毒素としてヒトに作用することで病気が発生するのではないかという説を唱え、空気中の埃には微生物が多数いること、それらの中にはどんな危険なものが含まれているかもしれないとの懸念を発表した。このパスツールの考えはコンタギオン説を支持するものであり、細菌こそがコンタギオン説に言う「生きた伝染性生物」の本体であるという説(細菌説)という新しい概念を示した。また同時に、腐敗という現象を明らかにしたことでその病原性のメカニズムをも説明しようとするものであった。 1865年、パスツールは南フランスの養蚕業者からカイコの病気の対策について指導を求められ、その原因となる微粒子病の原因となる微生物を発見した。これが最初に発見された病原体であるとも言われる。しかしながら、パスツールの液体培養法では複数の細菌が混じった状態での培養しかできず、病原菌を単独で分離培養することができなかったため、これもまた病原体を実験的に証明したことにはならなかった。 パスツールによる腐敗現象の発見は、決定的な証明にこそならなかったもののコンタギオン説にとって大きな支えになった。しかしこれに対して、マックス・フォン・ペッテンコーファーは、従来のミアズマ説にパスツールの発見を取り入れた環境説という新しい概念を提唱して反論した。ペッテンコーファーは下水道の整備によってさまざまな疫病の発生を食い止めたという実績から、環境(特に土壌)汚染との関連が説明しやすいミアズマ説を支持していた。パスツールの細菌説は、(1)細菌がヒトに感染し、(2)ヒトの体内で腐敗物質を作り出し、(3)その腐敗物質が毒素になり発病する、という考えであったが、これに対してペッテンコーファーは、(1)ヒト体内の細菌(これはそのままでは病原性を持たない)が排泄されて土壌や水を汚染し、(2)汚染した細菌が土中や水中で増殖して腐敗物質を作り出し、(3)その腐敗物質がミアズマとしてヒトに作用して発病させる、という考えを示した。
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