細見と西住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 15:17 UTC 版)
戦車第5大隊長時代は西住小次郎の上官に当たり、西住の名前を世間に公表したのも細見自身の発案である。 ただし、当時よくあったプロパガンダ的なものではなく、ただ純粋に、西住の勇敢さと高潔さを知って欲しかったというのが彼自身求めていたところであり、菊池寛が『西住戦車長伝』を執筆する際も売名行為と思われないよう、自身の名前を極力出さないよう念を入れている。 しかし、公表するやいなや、やはり西住はプロパガンダの格好の材料となり、神格化された。「軍神」とは報道したマスコミと、便乗した軍本部が勝手につけたものであり、細見としては不本意なものであった。『西住戦車長伝』映画化に対しては一切関わっておらず、やや批判的な見解をしている。 彼自身、西住の人間性には心底惚れていたようであり、戦後インタビューで「どうして西住のような人物があそこで死んでしまったのか。全く運命としか思えない。彼の人間性には、今でも感じ入っている。」と語っている。
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