第四章 各国料理の概観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 02:22 UTC 版)
西洋、中国、日本の料理について、さらに続いてインド料理の習慣、文化、歴史、食そのものの詳細が語られている。 続いて「各国料理の取り扱い方」という項では、各国料理のサービスとマナーについて説明されている。 日本、中国、西洋の三料理はそれぞれの領域があり、西洋料理は肉を主菜で、魚類や野菜は副菜であること。日本料理は魚類を主菜であり、肉や野菜は副菜であること。中国料理は肉や魚だけに偏らず全てのものを水や火の力によって料理するため、材料の範囲は中国料理が最も広く、日本がそれに次ぎ、西洋料理は狭いとしている。 「茶屋風会席料理について」という項では、茶屋風会席料理のスタイルは茶懐石料理と袱紗料理の中間の様式で、通常は汁の他にも、膾、付合、茶碗盛、平および大猪口に香の物を添えたほぼ一定の献立で構成されるものであるとしている。木下謙次郎は、酒飲みによって料理がおなざりになる傾向を嫌っており、食事中には酒を控え、食後に酒飲みは酒を飲み、下戸は自分で食べ物を食器に盛り勝手に食事ができるこのスタイルを実用的で良い方法であると見なしていた。 また当時の日本料理に見られた問題点に言及されている。日本には古来から大草流、四條流と呼ばれている流派があるが、これらは余りに形式儀礼に偏ってしまい、その結果、内容が空洞化していることが問題のひとつの原因であるとしている。また日本料理には小手先の細工をほどこして外見の良さだけで注意を引こうとするものも多く、さらにそこに鰹節や砂糖のような補助味によって味を加えることで、かえって本味を乱し、混濁させてしまっていることも少なくないと指摘している。 日本料理の歴史についても論じられており、『古事記』の大宜津比売神や豊宇気比売神から、平安、鎌倉、室町時代にどのように日本の料理が作られていったのかが説明されている。さらに織田信長や豊臣秀吉の料理に関するエピソードも記されており、その献立なども挙げられている。近代においては明治時代に牛肉食がはじまり、それがどのように広がりを見せるようになったかが語られ、この時代から外国の影響をうけて、日本の食が影響を受けていった様を理解できる。 四章の最後には「日本料理人および流派」という項がもうけられており、四条流や大草流といった庖丁流派や、日本の料理を代表する過去から近代までの有名な料理人の記録があつかわれている。その中には古事記に記載がある磐鹿六雁命。高橋朝臣という一族。園別当入道基氏や細川勝元、大草三郎左衛門、細川幽斎らが挙げられている。江戸時代になると園部新兵衛丞、石井治兵衛といった人物がいたことが記されており、近代になってからは紅葉館の主人の野邊地尚義、『山蔭落栗』の著者である柳楢悦をあげている。
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