稲田 (長野市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/08 06:34 UTC 版)
稲田 | |
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— 町丁 — | |
商業集積が進む若槻大通り(稲田一丁目) | |
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座標: 北緯36度40分27.3秒 東経138度13分11.1秒 / 北緯36.674250度 東経138.219750度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
地区 | 若槻地区 |
人口 (2014年(平成26年)4月1日現在)[1] | |
- 計 | 5,584人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 381-0042 |
市外局番 | 026 |
ナンバープレート | 長野 |
※座標は稲田公民館付近 |
稲田(いなだ)は、長野県長野市の北東部の地区。住居表示実施済みで一 - 四丁目まである。郵便番号は381-0042。
概要
地区の南端を浅川が流れ、北端を新田川が流れる。南東の隅にしなの鉄道北しなの線が走り、三・四丁目の境を成す。北部に北部幹線が東西に通り、西部を若槻大通り・長野県道60号長野荒瀬原線(旧北国街道)、東部を市道東豊線が南北に貫く。周囲は以下の大字・町丁と接する。
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大字若槻団地 | 徳間一丁目 - 大字徳間 | ![]() |
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檀田二丁目 | ![]() |
大字金箱 大字富竹 |
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吉田四丁目 - 吉田三丁目 - 吉田二丁目 |
若槻大通り・北部幹線(サンロード)・東豊線の3本の幹線道路が通り、地区内には鉄道駅こそないものの多くの路線バスが走っており、交通の便はよい。土地区画整理事業も進み、長野市の近郊住宅地として発展している。若槻大通り・北部幹線(サンロード)沿いにはロードサイド店舗が軒を連ねる。
もとは稲作・畑作地帯であり、前身の稲積(古くは稲住とも書いた)という地名は稲作が盛んであったことが由来であるという[2]。1604年(慶長9年)には村内東部を通る東山道の支道が北国街道に指定され、村内には一里塚(稲積一里塚)が築かれた。この一里塚は、北塚・南塚の2基双方が完全な形で残っている貴重な史跡である。なお、北国街道はその後1611年(慶長16年)、村内西部の、現在の長野県道60号長野荒瀬原線(旧道)の道筋に移った。
地名の由来は、前身の稲積村・山田村が1875年(明治8年)に合併した際に両村名から1字ずつ採った合成地名[2]。
地区内の人口および世帯数は以下の通り(平成26年4月1日現在)[1]。
世帯数 | 人口 | |
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稲田一丁目 | 513世帯 | 1,318人 |
稲田二丁目 | 863世帯 | 2,191人 |
稲田三丁目 | 597世帯 | 1,697人 |
稲田四丁目 | 152世帯 | 378人 |
計 | 2,125世帯 | 5,584人 |
沿革
現在の稲田地区の範囲は、概ね旧上水内郡稲田村の範囲に相当する。
- 旧稲田村の歴史
- 江戸時代 - 前身の上稲積村・下稲積村(郷帳上2ヶ村に分かれていたが、宿駅としては一村として扱われていた)は松代藩領、山田村は川中島藩領を経て松代藩領であった
- 1604年(慶長9年) - 徳川秀忠の命で一里塚が築かれ、稲積村に北国街道稲積一里塚が置かれる
- 1611年(慶長16年)9月 - 北国街道の道筋が変わり、稲積一里塚から外れる
- 1774年(安永3年) - 山田村、稲積宿の助郷となり、人馬継立の役務を担う
- 1873年(明治6年) - 上稲積村と下稲積村が合併し、水内郡稲積村となる
- 1875年(明治8年) - 水内郡稲積村・山田村が合併し、同郡稲田村となる
- 1876年(明治9年)12月 - 水内郡稲田村、同郡西条村の稲蔵地区を編入
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法施行。稲田村は上水内郡に属する
- 1889年(明治22年)4月1日 - 上水内郡稲田村、同郡檀田村・徳間村・上野村・吉村・田子村・東条村・西条村と合併し、若槻村となる
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 上水内郡若槻村、同郡朝陽村・古里村・柳原村・浅川村・長沼村・安茂里村・小田切村・芋井村・大豆島村とともに長野市に編入。旧稲田村域は大字稲田となる
- 長野市稲田の歴史
- 1967年(昭和42年)11月1日 - 「稲積一里塚」が長野市指定史跡となる
- 1972年(昭和47年)3月1日 - 「稲田のエノキ」が長野市指定天然記念物となる
- 1987年(昭和62年)11月1日 - 住居表示施行。大字稲田の一部が、稲田一丁目となる
- 1996年度(平成8年度) - 稲田南土地区画整理事業が始まる。現在の稲田二丁目南東部から稲田三丁目南部にかけての約23.5ha
- 2004年(平成16年)8月30日 - 住居表示施行。大字稲田の全域が、稲田二・三・四丁目となる。これにより、稲田地区全域で住居表示が施行される
- 2005年度(平成17年度) - 稲田南土地区画整理事業が完了
交通
路線バス
地区内の若槻大通り・旧北国街道・北部幹線(サンロード)などを長電バス・ぐるりん号の以下の路線系統が走っている。
- 長電バス
- ぐるりん号
- 東北ぐるりん号
施設
稲田一丁目
稲田二丁目
- 中の池
- AOKI 若槻店
稲田三丁目
稲田四丁目
脚注
- ^ a b 長野市町別人口及び世帯数 - 長野市企画政策部企画課
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年(ISBN 4040012003)
- ^ 稲田のエノキ - 長野市文化財データベース(長野市教育委員会文化財課)
- ^ 稲積一里塚 - 長野市文化財データベース(長野市教育委員会文化財課)
「稲田 (長野市)」の例文・使い方・用例・文例
- 早稲田大学は今週末に法政大学と試合をする予定だ
- 彼女は、早稲田大学に入学を許可された。
- 早稲田大学における彼の最後の講義は、万来の拍手喝采を浴びた。
- 昨日の試合で早稲田は慶応と引き分けた。
- 今日早稲田対慶応の試合がある。
- 決勝戦で慶応は早稲田と対戦した.
- 稲田.
- 水田, 稲田.
- 毎年慶応は早稲田と隅田川でボートレースをする.
- 試合は 3 対 2 で早稲田の勝ちになった.
- 早稲田は 9 対 5 のスコアで慶応に勝った.
- 早稲田の先攻で試合が開始された.
- 中井氏は早稲田派の作家だ.
- 最初は早稲田の方が優勢であった.
- 新聞記者には早稲田大学出身の者が多い
- 慶応対早稲田野球試合
- 早稲田と慶応の野球試合はいつあるか
- 早稲田大学という私立大学
- 11月12日,早稲田大学のエースピッチャー和田毅(つよし)投手が,福岡ダイエーホークスに入団すると発表した。
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