祭祀・お祭りとは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:30 UTC 版)
祭祀とは古語でいう「マツリ」の事だが、古語でいうマツリという語の意味についていくつかの説がある。まず、社を定める、御食御酒や幣帛といったお供え物を神に献供するなど、神に対して奉る(タテマツル)ことに「祭る」の字を当てたという説があり、『古事記』・崇神天皇の段に例があり、本居宣長が『古事記伝』で注釈している説である。また、マツリをラ行四段活用し、その未然形に継続を表す「フ」の語尾を付けると、物品を献上し続け服従するという意味の「マツラフ(服う)」となることから、神に対して服従することを語源とする説もある。 マツリは動詞の「待つ」を語根とした言葉であり、神を饗応しその招来を待つという意味と取る説もある。民俗学上の検証は行われているが、国語学ではマツ・ルのルは文法的に説明できず、イントネーションも異なるとされている。大本教など近代の教派神道では、マツリとは神と自然と人間の調和の取れた真の釣り合い「真釣り」であるという教説を唱えている。 日本の神道の祭祀とは、伊勢神宮と属する諸々の神社で行われており、中でも皇室(宮中)の祭祀は日本の祭祀の源流であり本筋であり、最高かつ最大であり、祭祀の形態・機能が完全に具備されており、中心をここに置いて説明することは妥当である。地鎮祭や諸社で行われる独自の祭祀、家庭で行われる神道祭祀も、基本的に皇祖神を奉る天皇の祭祀に倣ったものとなっている。 祭る対象は言うまでもなく一般には神であり、目的はより生きたいというに及ばない実祈願から、神の霊得を身に受けるということである。そうして人が充実を願った時、人を超越した何者か「カミ」(上)に対し交渉を試みるということであり、畏敬と親愛をもって祭祀が生じる。そしてその形式は、貴人に対する作法があるように、人に似ている部分もあるがそれを超越した存在に対して生じている。鎮座の建物である社殿、神饌(お供え)も人間のものに近いものもあれば、人間には住みにくい、食べにくいといったものまである。人間味のあるものと、人間離れしたものがあるのである。その姿は目に見えざる霊体であり、心眼をもって仰ぎ奉れば感得することもある。神得を仰ぐには、商業の神に病気療養を祈るということもあり、その神特有の神得以外の万神に共通した神徳を仰ぐ場合もある。 神人共食。その後の直会(なおらい)とは、『日本書紀』にて嘗(な)めらいのことであり、頂戴する意味であり、供えられた食事は霊気の加わったものと解され、これを腹に納め神の霊得を身徳する。またこれは皆で分配するということでもあり宴会である。伊勢神宮では古くは、頂戴した後に和舞(やまとまい)といい、身に心に霊得が満ちたので歓喜にたえられず舞った。
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