祭祀と護符
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 21:41 UTC 版)
『続日本紀』(巻32)には宝亀4年(773年)7月に疫神を諸国で祭らせたことが記録されている。日本では平安時代から、疫病を祓うための祭礼や宗教儀式が朝廷によって行われて来た。また儀礼的なもの以外にも疫病除けのために、鍾馗(しょうき)や牛頭天王、角大師(つのだいし、元三大師の姿を木版刷りしたもの)を屋内あるいは戸に設けて護符とする信仰や俗信があり、疫神を避けるものであるとされてきた。 牛頭天王は疫病から身を守る際に祈願をかける存在として信仰されるが、いっぽうで疫病をもたらす存在ともされていた。 疫病神を人形に見たてて追い出す・送り出す民俗行事は現代でも日本各地でおこなわれている。また、夏越の祓や祇園祭など夏季に行われる祭礼や茅の輪くぐり、端午の節句に行われる菖蒲湯などには疫病・疫神を祓うものとしての意味が付与されていることが多い。『拾椎雑話』によれば、延宝(1673年-1681年)のころ、疫病が流行して諸国に蔓延したので、大きなタケに四手(しで)をつけて国々から送り出す神事をおこなったという。この神事も人形送りの行事の一種であるとみられる。 年中行事に際して食べられる特別な食事に「疫病神をはらう効果」を説明する民間伝承も各地にあり、6月15日に食べられるうどん(岡山県津山市など)などがある。
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