社民党政権とは? わかりやすく解説

社民党政権(1919年-1920年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:46 UTC 版)

ドイツ社会民主党」の記事における「社民党政権(1919年-1920年)」の解説

社民党可決させたこのヴァイマル憲法ヴェルサイユ条約によってヴァイマル共和政基本体制築かれた。しかし保守右翼及び共産党以下極左ヴァイマル共和政など認めなかった。 1919年4月にはバイエルン共産党革命起こし同地の社民党政権を追放してバイエルン・レーテ共和国勝手に樹立したソビエト連邦ウラジーミル・レーニンの「世界革命」に向けて工作でもあった)。事態危険視した社民党政権のノスケ国防相は軍や義勇軍動員決定ミュンヘン攻め上らせてレーテ共和国叩きつぶした出動した軍や義勇軍手当たり次第共産党員殺戮したため、他の社会主義政党からの社民党評判はますます悪くなった。特に国防相ノスケは「人殺しノスケ」と呼ばれた一方、軍や義勇軍ももともと反民主的な右翼が多いので自分達に頼りっきりの社民党政権をなめるようになった。それが事件となって表れたのが1920年3月ヴォルフガング・カップヴァルター・フォン・リュトヴィッツ将軍指揮の下に義勇軍によって起こされカップ一揆であった社民党ノスケはこれも軍を動員してつぶそうとしたが、義勇軍同志と見る軍の軍務局長ハンス・フォン・ゼークト将軍は「国防軍同士で争うことはできない」と鎮圧拒否した焦った社民党政権はベルリン捨てて逃亡したその後、社民党政権は労働組合ゼネスト呼びかけベルリン占拠した反乱軍政治機能不全に陥らせて崩壊させ、ベルリンに戻ることができたが、責任取ってノスケ辞職することとなった後任国防相民主党オットー・ゲスラー就任したゲスラー以降8年国防相地位にあった社民ノスケは軍を完全に政府支配下に置くことを目指していたが、社民よりは保守的な民主ゲスラーは必ずしもそれを目指さなかったので軍がヴァイマル共和政の中で半ば独立した大勢になってしまうことを阻止できなかった。 社民党政権と極左との対立続いたカップ一揆の際の労働者ゼネストには共産党参加していたが、カップ一揆鎮圧後社民党ゼネスト解除求めて共産党応じなかった。共産党ゼネストから革命狙って動いたのでザクセンからテューリンゲンに至る中部地域またしてもレーテ共和国」が樹立されてしまった。社民党政権はふたたび軍を動員してこれを潰した。この時数百人人々略式処刑され、バイエルン同じく共産党赤色テロとその復讐の軍の白色テロ吹き荒れることとなったバイエルンもそうであるが、軍が鎮圧した地域事実上軍政下に置かれてしまい、社民党政権の統制下から離れてしまうという悪循環もあった。 国民社民党ヴァイマル共和政嫌気がさし、極左志向になるか帝政懐古する者が増えた1920年6月6日国会選挙はそれが端的に示された。この選挙ではヴァイマル共和派軒並み惨敗した社民党第一党維持したものの102議席減らした社民党連立を組む民主党75議席から39議席落とし中央党91議席から64議席落とした一方極左陣営プロレタリア独裁志向)の独立社民党84議席獲得して第二党躍進初め選挙出た共産党も4議席獲得した保守右翼陣営帝政復古志向陣営)も躍進しドイツ国家人民党(DNVP)が71議席獲得して第三党ドイツ人民党(DVP)が65議席獲得して第四党の地位確立した社民党ヘルマン・ミュラー内閣総辞職せざるを得なくなった革命以来一貫して政権中枢にあった社民党が、はじめて政権から降りることとなった

※この「社民党政権(1919年-1920年)」の解説は、「ドイツ社会民主党」の解説の一部です。
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