社民連解党後から社民党入党まで
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「田英夫」の記事における「社民連解党後から社民党入党まで」の解説
1994年、國弘正雄や翫正敏、三石久江ら小選挙区制に反対する社会党参院議員と共同で院内会派「護憲リベラルの会」を結成、同年9月22日、新党護憲リベラルを結党した。その間、反小沢一郎色を強めていく。 自社さ連立政権についてはいち早く支持を表明した。さらには社会党最左派と言われた伊東秀子を北海道知事選挙に自民党推薦で擁立したりもした。これらの行動は彼とさまざまな社会運動を共にしてきた支持者・支援者からは裏切りとも取られ、東京都議会議員下元孝子は代表を務めていた大衆党を離党したり、護憲リベラルは「平和・市民」と憲法みどり農の連帯に分裂したりと数々の対立・分断の原因ともなった。 95年参院選後、田らの「平和・市民」は解党。田は椎名素夫らと院内会派「参議院フォーラム」を結成する。
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