社民党の戦争支持
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「ドイツ社会民主党」の記事における「社民党の戦争支持」の解説
オーストリアとセルビアの開戦を巡って1914年8月1日にドイツはロシアに宣戦布告。8月3日にはロシアの同盟国フランスがドイツに宣戦布告し、8月4日にドイツ軍がベルギー侵攻を開始するとイギリスもドイツに宣戦布告。第一次世界大戦が勃発した。 8月4日に戦時予算審議のため帝国議会が招集されることになり、社民党はその対応を協議するため、8月2日に幹部会を招集した。議論は紛糾し、フィリップ・シャイデマンらが戦時予算に賛成する一方、ハーゼらはカウツキーの支持を得て反対。しかし8月3日の議員総会の採決は賛成78反対14で戦時予算案に賛成することを決議した。 これを受けてハーゼは社民党議員団団長として8月4日の帝国議会において次のごとき戦争支持の演説を行った。「最良の自国民の血によって彩られたロシア専制主義が勝利を得るならば、ドイツ民族およびその自由な将来にとって、ゆゆしき一大事と言わなければならない。我々は文化と我々自身の国家の独立とを確保するため、この危険を防がねばならない。ここにおいて、我々は、我々が常に『危機に際しては祖国を見捨てず』と強調してきたところを実行するものである。我々は、こうすることにより、侵略戦争を排撃し、各民族の独立と自衛の権利を承認してきたインターナショナルの精神と一致するものと信ずる。しかしながら、我々は、自存の目的が達成され、相手国に平和の意図ある場合にはすみやかに隣人たる諸国民との友情を可能にならしむべき平和に変えることを要求する」。 社民党の賛成により帝国議会は全党派満場一致で50億マルクの戦時公債案を承認した(急進左派のリープクネヒトもこの時には賛成票を投じている)。さらにこの際に各党派は政党間抗争および政府に対する反対運動を中止することを約束した(「城内平和」)。労働組合も先立つ8月2日に賃金闘争及びストライキを全面中止することを宣言した。 「城内平和」の成立で社民党と労働組合は政府の戦争遂行に積極的に協力した。社民党の戦争協力は政府から歓迎され、従来の社民党員に対する差別待遇は大きく改善された。軍部が社民党地方組織に加えていた排斥措置は撤回され、社民党員の経営する居酒屋に軍人が出入りすることが許されるようになった。軍内での社会主義的文書の配布も認められるようになった。機関紙『フォアヴェルツ』の駅売りも許可され、国有鉄道は社民党員を職員に採用するようになった。労働組合に対する全ての訴訟手続きは打ち切られるか延期され、「反社会民主主義全国同盟(ドイツ語版)」も解散となった。プロイセンの大臣や警察高官が社民党事務所にあいさつ回りする光景も珍しくなくなった。こうした差別待遇の解消は、社民党内の愛国主義をさらに高揚させ、彼らを一層の戦争協力に向かわせた。 一方ロシアのボルシェヴィキ指導者ウラジーミル・レーニンはドイツ社民党の戦争支持を「裏切り」「変節」と呼んで批判している。しかしマルクスもエンゲルスも社民党党首ベーベルも「ロシア帝国のツァーリズムこそがヨーロッパ社会主義運動の最大の敵」と定義しており、ことにエンゲルスは1892年の論文の中で「もしフランス共和国がツァーリの支配するロシア帝国と組むのであれば遺憾ながらドイツ社会主義者はフランスと戦うしかないだろう」とまで言及していた。これらを考えればドイツ社会主義者の主流であるドイツ社民党が戦争を支持したことはさほど不思議なことではなかったともいえる。
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