ミュラー内閣とは? わかりやすく解説

ミュラー内閣(1928年-1930年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:46 UTC 版)

ドイツ社会民主党」の記事における「ミュラー内閣(1928年-1930年)」の解説

1928年5月国会選挙社民党大幅に躍進した。当時好景気になっていたため、ヴァイマル共和政とそれを作った社民党支持集まっていたのであった。これを背景6月12日社民党党首ヘルマン・ミュラー首相とする内閣発足した社民中央民主の「ヴァイマル連合」に加えて人民党バイエルン人民党連立参加した。 ただしこの五党は政策協定結んでいたわけではなく他党から参加した閣僚は「個人資格」あるいは「連絡員」として入閣していた。また社民党内にも「ブルジョワ政党」との連携反発する声があり、ミュラー首相には常に党内から「党の利益より内閣利益優先するようなブルジョワ政策を取るな」という圧力かかった。そのためミュラーとしてはあくまで「個人内閣」として組閣するしかなかった。外相シュトレーゼマン国防相グレーナーが留任したほか、蔵相ヒルファーディング内相カール・ゼーフェリンクなどが入閣し人材優れた内閣となった。 ミュラー内閣で最初に問題となったのは前内閣からの持ち越し案件である「装甲巡洋艦A」(艦砲航行距離は戦艦レベルだったが、ヴェルサイユ条約建前からこの名前にしていた。ポケット戦艦とも呼ばれた)の建造時期の問題だった。直ち建造開始しなければならないという国防相グレーナーの説明閣僚たちは社民党員も含めて全員承諾したが、社民党先の国会総選挙で「装甲巡洋艦より児童給食を!」をスローガンしたため党内からは異論続出した社民党は「装甲巡洋艦A」の建造中止とその予算児童給食へ回す動議提出しミュラー首相はじめ閣僚党員にも党議拘束課した。そのためミュラー首相として「装甲巡洋艦A」建造計画閣議決定しつつ、議員としてそれに反対する動議賛成票を投じることになった。この反対動議社民党共産党以外の賛成得られ否決されたものの、自党首相にこのような茶番劇演じさせたことは社民党威信著しく低下させた。 社民党内では党内左派指導部連立政策破棄を迫るようになり、1929年5月マグデブルク党大会では党所属議員クルト・ローゼンフェルト(ドイツ語版)が「党の利益を守るため、プロレタリア利益を守るため、共和国政府手を切ろう」と煽った連立離脱決議はされなかったものの、党指導部もかつてほど連立政策意欲を持たなくなっていった。 党外からの攻撃激しくなっていた。1929年2月新し賠償方法ヤング案決議されると国家人民党ナチ党など保守右派勢力による反政府運動激化した1929年5月の「血のメーデー事件」で共産党社民党政権への嫌悪感強め「社会ファシズム論」に基づく社民党攻撃強化したシュレースヴィヒ=ホルシュタインでは中小農民層による反税闘争・反国家運動高まりテロ含めたかつてないほど激し抗議活動展開されるようになった四面楚歌となったミュラー内閣に1929年10月24日のニューヨーク・ウォール街の暴落端を発する世界恐慌襲いかかったアメリカからの流入資本頼っていたドイツ経済は、アメリカ外資途絶えたことで大打撃こうむったうえ、失業者増大失業保険赤字補填額が大幅に増えドイツ財政危機的状況陥った政府内では失業保険掛け金増額すべきか、増税すべきかをめぐって労使代表する社民党人民党激しく対立社民党労働総同盟掛け金増額断固拒否する中、ミュラー内閣は調整不可能となり、1930年3月27日をもって総辞職したこの間ヒンデンブルク大統領側近クルト・フォン・シュライヒャー将軍進言影響で「反議会主義反社会主義」政府転換させる意向を持つようになっており、ミュラー辞職後には議会基づかずヒンデンブルク独断首相選び大統領緊急令をもって政治を行う「大統領内閣」へ移行した。そのためミュラー内閣の終焉以ってヴァイマル共和政議会制民主主義機能不全陥った評価されている。

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