社会の熱狂と残されたもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:24 UTC 版)
「チューリップ・バブル」の記事における「社会の熱狂と残されたもの」の解説
マッケイの説明は今日でも人気があり、『Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds』は定期的に重版され、投資家のバーナード・バルーク(1932年)、金融ライターのアンドリュー・トビアス(1980年)、心理学者のデイヴィッド・J・シュナイダー(1993年)、マイケル・ルイス(2008年)らがそれぞれ前書きを提供している。現時点で少なくとも6版が流通している。 ゴルガーは、「経済危機の影響はほとんどなかったかもしれないが、全ての価値体系が疑わしくなった」として、チューリップ・バブルは経済バブルまたは投機バブルとはいえないかもしれないが、オランダ人にとってはそれにもかかわらず、別の理由により、トラウマとなるような出来事であったと主張している。17世紀においては、花のようなありふれたものが、多くの人々の年収よりもずっと多額の価値を有するというのは、ほとんどの人にとっては想像もつかないことであった。夏の間しか育たない花の価格が冬に騰貴するというのは、「価値」についての理解そのものをカオスに投げ込むようなものであった。 ベックマンおよびマッケイが後に報告した反投機的な小冊子のように、チューリップ・バブルによる混乱を描いた情報源の多くは、経済への打撃が実際に存在していたことの証拠として引用される。しかし、これらの小冊子は、バブルにより被害を受けた者によって書かれたのではなく、主に宗教的な動機により作成されたものであった。この大変動は道徳的秩序からの逸脱、すなわち「天国の花ではなく地上の花に専念することは悲惨な結末をもたらしうる」ことの証拠だとみられていた。このように、経済における比較的小規模な出来事が、道徳的な寓話として独り歩きするようになった可能性がある。 1世紀近く後の1720年代、ミシシッピ計画の破綻や南海泡沫事件の時期には、チューリップ・バブルはこれらのバブルに対する風刺として持ち出された。1780年代にヨハン・ベックマンがチューリップ・バブルについて初めて言及した際、ベックマンはこれを当時のくじに外れることになぞらえた。ゴルガーの見解では、バートン・マルキールの『A Random Walk Down Wall Street(邦題:ウォール街のランダム・ウォーカー)』(1973年)およびジョン・ケネス・ガルブレイスの『A Short History of Financial Euphoria(邦題:バブルの物語)』(1990年。1987年のブラック・マンデーの直後に著された)といった、金融市場についての現代の著作すらも、チューリップ・バブルを道徳的な教訓として用いている。チューリップ・バブルは1995年から2001年のインターネット・バブルの間も再びよく言及されるようになった。 21世紀には、ジャーナリストらは、チューリップ・バブルを、投機的なインターネット・バブルやサブプライムローン問題と比較してきた。2013年11月には、オランダ銀行の元総裁であるナウト・ウェリンクが、ビットコインを評して「チューリップ・バブルよりなお悪い」とし、「(チューリップ・バブルでは)最悪でもチューリップは手に入るが、(ビットコインでは)何も手に入らない」と話した。 チューリップ・バブルは今なおよく言及されるが、Slate誌のダニエル・グロスは、チューリップ・バブルについて効率性市場仮説からの説明を試みている経済学者らに関し、「彼らが正しいなら…ビジネスライターは、手元にあるバブルの例から、チューリップ・バブルを削除しなければならない」と述べている。
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