社会の構造と政治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:29 UTC 版)
プラザ合意からの円高で、バブル崩壊以前からすでに日本における労働力のコストは高騰していたが、日本企業はバブル景気による収益で高コスト体質による不利をカバーできていたため、旧来的な雇用形態を変えておらず、それゆえ高価な労働力を過剰に抱えていた。それがバブル崩壊を境にいよいよ維持できなくなったことで、リストラによる余剰人員の削減と雇用柔軟性の導入が必要となった。 この動きの一環として、1999年には、小渕恵三内閣によって派遣労働が製造業を除いて原則自由化され、企業が人員を削減する程法人税を減免する「産業再生法」が制定された。この「産業再生法」の背景が、1995年に日経連(当時)が発表した「新時代の『日本的経営』」だとの意見がある。この「新時代の『日本的経営』」では、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分けており、派遣労働者やフリーターは「雇用柔軟型グループ」に当たる。 「新時代の『日本的経営』」を支えたとみられる政治思想として、小沢一郎の「普通の国」、小泉純一郎の「聖域なき構造改革」が挙げられる。これらの路線は、「アメリカ型社会の模倣」、「『わずかな強者が主導権を握り、大多数の弱者が貧困と死におびえる階層社会』となる」などと批判されることがある。2004年3月1日には、小泉純一郎内閣によって製造業への派遣労働が解禁され、派遣労働者は爆発的に増大した。ただし、労働者派遣法の改正審議の当時、偽装請負が社会問題化のきざしをみせていた。派遣労働者激増の背景には、偽装請負業者が一般派遣へ流れ、それまで派遣労働者としてカウントされていなかった分の増加が相当の割合で寄与しているという面もある。
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