皇室会議と婚約会見
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「皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀」の記事における「皇室会議と婚約会見」の解説
皇室会議(1993年1月19日)議題:皇太子徳仁親王と小和田雅子の婚姻議員一覧氏名身分表示 三笠宮崇仁親王 皇族 崇仁親王妃百合子 皇族 櫻内義雄 衆議院議長 村山喜一 衆議院副議長 原文兵衛 参議院議長 赤桐操 参議院副議長 宮澤喜一 内閣総理大臣 議長 藤森昭一 宮内庁長官 草場良八 最高裁判所長官 藤島昭 最高裁判所判事 皇族男子の結婚にあたり、皇室典範によって行われることになっている皇室会議が、この婚約に関しても1993年1月19日午前8時30分から宮内庁特別会議室で行われた。出席者は三笠宮崇仁親王と同妃百合子、内閣総理大臣宮澤喜一(皇室会議議長)、衆議院議長櫻内義雄、同副議長村山喜一、参議院議長原文兵衛、同副議長赤桐操、最高裁判所長官草場良八、同判事、宮内庁長官藤森昭一の10名で、藤森が先に撮影された雅子の写真と略歴を説明し、全員が起立してこの結婚に賛成を表し、19分で終了した。 同日に行われた婚約会見では、東京都港区青山の「アトリエ 角田明美」が制作した同じデザインの2着のワンピースのうち、レモンイエローの方を雅子が家族と相談して選んだ。この服に合わせた靴を「リュウスケカワムラ」(河村龍介)、花の飾りのついた同色のピルボックス帽を「ベル・モード」にオーダーした。会見当日はこれに同色のバッグ、真珠のネックレス・イヤリング・白い皮手袋である。 テレビで生中継されたこの会見では、事前用意されたマスコミからの質問文書に答え、プロポーズの日時や様子、その返事の言葉が詳しく回答された。また、婚約に当たり、一部の皇室評論家が、皇后が雅子を招いて説得したという話を女性週刊誌でコメントし事実であるかのように流布された件を、この会見上で事実ではないと二人で否定している。実際は皇后は当事者と周囲の職員に任せる姿勢を取り特定の人物を支持することはなかったのだが、噂に分かりやすい「物語性」があるためか、とくに日本国外のメディアでは否定後も事実であるかのように流布し『ヴァニティ・フェア』にはこれを元にして、皇后が雅子に(自分の皇室入り後に受けたような)迫害から守ると約束したという「作り話」が掲載された。会見後、皇太子と雅子は各宮家に挨拶に回り、夜には天皇が小和田家の家族とともに雅子を招き、天皇家、秋篠宮家と夕食を共にした。この際、皇后から雅子に皇太后(香淳皇后)から受け継がれたルビーの指輪が贈られた。 2月9日、雅子は外務省を退職、職員らに花束を贈られ、省舎をあとにした。 3月12日から、一般に「お妃教育」といわれる、婚約者に皇族として必要な知識などを講義するご進講(ごしんこう)が行われた。雅子が堪能な語学を省略しても週に4日のペースで6週間、計50時間、宮中祭祀、皇室制度や皇室典範・憲法、日本歴史、和歌、書道などで、祭祀と制度関係は親王妃の2倍近い時間だった。雅子は数十冊のノートを取り熱心に学習したという。
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