白川大水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:31 UTC 版)
「昭和28年西日本水害」の記事における「白川大水害」の解説
県都・熊本市では、市内を流れる白川が氾濫した。白川上流部では、阿蘇郡黒川村で5日間の雨量が888.4ミリを記録するなど、阿蘇地域一帯で猛烈な豪雨となった。白川水系流域面積の80%を占める阿蘇地域は、阿蘇熔岩を主体とする岩盤の上に「ヨナ」と呼ばれる火山灰を多く含む土壌が堆積していた。 鹿児島県大隅半島のシラス台地と同様に、豪雨が降ると容易に崩壊する土壌であったため、阿蘇地域は1952年(昭和27年)に特殊土壌地帯災害防除及び振興臨時措置法(特土法)の規定する特殊土壌地帯に指定されていた。こうした土壌が堆積していた阿蘇地域で、4月27日に阿蘇山が噴火して大量の火山灰が堆積、そこに大量の豪雨が降り注いだことで、大量の火山灰や「ヨナ」が土石流となって、広大な白川上流域から黒川合流点より下流の河川勾配が急な峡谷を一挙に下り、下流の熊本市内に流入した。さらに熊本市内の白川は天井川となっており、熊本市役所庁舎をはじめ、熊本市中心部は白川の水面よりも低い位置に存在していた。こうした複合的な要因が、熊本市内の被害を増幅させる結果をもたらした。 熊本市では、京町や健軍といった高台を除く全市の70%が浸水し、熊本市中心部では平均で水深が2.5 - 3.0メートルに達した。また白川の橋梁は市内に17か所架けられていたが、国道3号長六橋と大甲橋を除いて残らず流失し、上流・中流部でも七障子橋・代宮橋・赤瀬橋以外はことごとく流失した。特に子飼橋では、大量の流木が詰まったことがきっかけに氾濫が発生し、至近距離にあった避難所で避難していた住民約40名が橋もろとも白川に流され、死亡した。 熊本市内は噴火した阿蘇山の火山灰が混ざった大量の泥や「ヨナ」で市街地などが埋まり、その総量は実に600万トンにもおよび、熊本城の堀の一部を廃土で埋めることになった。また養老院が倒壊して52名が一度に圧死するなど、土砂災害による要因が死者を増加させている。 熊本市の被害額は約173億円(現在の金額で約1,219億円)にもおよぶ壊滅的被害となった。また上流の阿蘇郡長陽村(南阿蘇村)などでも、土石流によって家屋や道路、鉄道への被害が大きく孤立した村落が発生した。白川上流部のいわゆる「南郷谷」と呼ばれる阿蘇山カルデラ南部では、土石流によって運ばれた巨大な岩石が一帯を覆い尽くし、死者・行方不明者が66名を数えた。熊本県では、この白川流域で甚大な被害をもたらした今回の水害を、特に白川大水害または6.26水害と呼ぶ。 なお白川では、この水害の半月後、7月16日から17日にかけても集中豪雨があり、仮橋を架けたばかりの国道266号代継橋や明午橋、白川橋、泰平橋が再び流失したほか、床上・床下浸水の被害を受けている。またこの水害を契機に建築された白川沿いの住宅が、その後の白川治水事業を困難にする要因ともなった。
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