6.26水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:04 UTC 版)
昭和28年西日本水害では、熊本市本荘町にあった海老原喜之助の自宅と南坪井町の研究所も浸水。当時熊本市春日に住んでいた松田も被災。だが、海老原と共に復旧作業もそこそこに、翌27日から研究所のメンバー数人とスケッチに出掛けた。松田は「経験したこともない惨状を見て、描かずにはいられなかったのではという。画家としての精神の発露だったのだろう」と当時の海老原の心情を推測した。熊本市内の白川や坪井川沿いの被災地を歩き回り、約10日に亘ってスケッチを続けたという。 2013年における出展は、県立美術館が所蔵する海老原の21点と松田の21点。崩壊した家屋や折れ曲がった橋、がれきの山などが鉛筆のみで生々しく描写され、被災直後の様子を克明に伝えた。「惨たんたる光景を前に、描こうとしても気ばかり焦って手が動かなかった。そのために絵に緊迫感が生まれた」とコメントを残した。
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6・26水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 07:21 UTC 版)
1953年(昭和28年)6月26日、梅雨前線による集中豪雨で白川が氾濫し熊本市の広い範囲が床上浸水、またその2ヶ月前に阿蘇山が噴火していたことで大量の泥(火山灰)が市街地へ流入した。この白川流域の水害についてを「白川大水害」、または日付から「6・26水害」と呼ぶ。熊本のほか福岡・佐賀などでも大きな被害をもたらした。 詳細は「昭和28年西日本水害#白川大水害」を参照
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