6/27~6/30
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 15:58 UTC 版)
「タリ=イハンタラの戦い」の記事における「6/27~6/30」の解説
27日に始まった第三次攻勢ではドイツ第303突撃砲部隊と共に多くのフィンランド軍が増援に到着した。フィンランド軍部隊は戦闘で配置がばらばらになり、集中した組織防衛が難しくなっていたためフィンランド軍は兵をビョルクマン戦闘団とプロマ戦闘団の二組の戦闘団に再編した。一方ソ連軍は増援としてソビエト第108軍団を参加させ、兵力全体として合計1機甲師団、2機甲突破連隊、4個狙撃兵連隊を含むことになった。 フィンランド側は戦闘の主導権を取り戻そうと試み、レイティモ湖東部の防衛線を破って進出した第46親衛師団、第63親衛師団、第64親衛師団、第268師団、第30親衛戦車旅団からなるソビエト4個師団に攻撃を行った。これらの部隊を3つに分断してフィンランド軍得意のモッティ戦術に持ち込もうと試みたのである。分断のために進むプロマ、ビョルクマンの両戦闘団はお互い1kmずつの位置まで進軍したが、包囲を閉じようというところでタリ製粉所近くで全周囲に防御体制を引いたソ連軍に猛烈な反撃を受けた。幾つかの戦車戦も行われたが功を奏することはなかった。フィンランド軍の攻撃が失敗したのはソ連軍の戦車と砲の集中運用による強固な反撃が理由であり、また、両戦闘団間の連絡が戦闘の途中で失われたことも大きい。戦闘団を率いたプロマ(フィンランド語版)は戦後、この包囲失敗を一番後悔していると述べている。しかし、この攻撃によってフィンランド側は防衛に72時間の猶予をもたらし、後方に配置されていたフィンランド第6軍と第11軍が到着する時間を与えた。 28日にはフィンランド航空軍やドイツのクールマイ部隊がソ連軍の隊列を攻撃した。ソ連空軍も第276爆撃機師団を用いてフィンランド機甲部隊を空爆した。フィンランド軍司令部はヴァッキラ-イハンタラ湖-コッコセルカ-ノスクアンセルカまでの撤退を命じた。しかし、フィンランド部隊は退却途中でソ連に追撃される。6月29日は戦闘を通じてフィンランド軍の損害が最も大きくなり、敗北に近い状態まで追い込まれた。フィンランド軍は編成を再度再編した。しかし、その後も血みどろの戦闘が続き、6月30日、フィンランド軍はタリから退却。この7月1日と2日の遅延防衛による戦闘でフィンランドは1日あたり800名の損害を出した。
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