子飼橋とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 子飼橋の意味・解説 

子飼橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 18:01 UTC 版)

子飼橋(こかいばし)は、熊本県熊本市一級河川白川に架かる橋梁。都市計画道路である子飼新大江線の一部で、中央区東子飼町 - 同区大江1丁目の間に位置する。橋の名は北側一帯の地名「子飼」から。

永久橋が架かる以前

江戸時代には渡し舟があったが、明治時代に木造の有料橋が架けられた。1900年(明治33年)の大水害で橋が流された後は、舟橋などが架けられていた[1]

初代

大正時代に架けられたコンクリート橋。橋は当時の河川敷の中央付近にのみ架けられ、橋の前後は河川敷上に盛土をして作った道路を接続した。 やがて橋の両端を基準に新しい堤防が築かれ、1796年の大水害時に築かれた旧堤防の一部は一夜塘跡として残された[2]。新堤防の建設に伴い出現した堤内地は大蔵省(当時)により払い下げが行われ、新しい市街地が形成されていった。しかし、結果的に橋周辺の河道は狭まり、1953年(昭和28年)に発生した西日本水害時には、橋に流木が詰まったことをきっかけに市街地に大量の水や土砂が溢れ出す原因となった。特に、橋の南側の大江地区の被害は甚大で、多数の民家が流出、浸水したほか多数の死者も出た[3]

2代目

1957年(昭和32年)、コンクリート一部トラス橋として完成。 1958年(昭和33年)には熊本県を行幸啓した昭和天皇香淳皇后の視察先の一つとなり、1953年(昭和28年)の災害発生時の水防功労者らが奉迎して会釈を賜った[4]

当初は2車線のみであったが、後に歩道が追加された。高度成長期を経て市内屈指の交通量の多い橋となり架け替えの対象となった。2013年(平成25年)に3代目の子飼橋の部分供用開始とともに役割を終えて解体された。

3代目

2代目の橋の通行量が増加。2003年(平成15年)には1日の通行量が2万台となったことから熊本市が架け替えを計画。2005年(平成17年)に事業着手して、2013年(平成25年)から部分供用が開始。2015年(平成27年)に完成した。延長134m、幅員は28m。自動車4車線のほか自転車通行レーン、歩道が設けられた[5]

子飼橋の名が使われている施設等

脚注

  1. ^ 白川わくわくランドニュース”. 白川わくわくランド (2006年). 2021年4月14日閲覧。
  2. ^ 一夜塘跡(いちやどもあと)熊本市”. 熊本県総合博物館ネットワーク. 2021年4月15日閲覧。
  3. ^ 小出博 「子飼橋をめぐる悲劇と原因」『日本の水害』p50-p51 東洋経済新報社 昭和29年9月10日
  4. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、457頁。ISBN 978-4-487-74412-1 
  5. ^ 暫定2車線で部分供用開始・・子飼橋架け替え”. 熊本経済 (2013年9月30日). 2021年4月14日閲覧。

関連項目

座標: 北緯32度48分40.8秒 東経130度43分16.5秒 / 北緯32.811333度 東経130.721250度 / 32.811333; 130.721250




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  子飼橋のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「子飼橋」の関連用語

子飼橋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



子飼橋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの子飼橋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS