登山の世界の女性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 06:10 UTC 版)
「ファニー・ブロック・ワークマン」の記事における「登山の世界の女性」の解説
ファニーはアニー・スミス・ペックと共に、20世紀初期に世界でも最も著名な女性登山家の一人として認められた。その競争関係はこの惑星で最も遠隔にあり、難しい地形でも女性が登れることを示し、男性登山家と同じ業績を上げた。女性が本当に登山に関わるようになったのはペックとファニーの業績があったからだった。特にヒマラヤ山脈では、それまで登山は裕福なイギリス人男性に独占されていた。他の女性がヒマラヤ山脈に登るようになったのは、第一次世界大戦も終わってからのことであり、その時には登山の装備や組織も改良されて、遠征の危険性や困難さを減らしていた。 ファニー自身は熱心なフェミニストであり、婦人参政権の支持者であり、読者には如何に彼女の貢献や業績が女性全ての位置づけに反映されたかを理解してくれることを望んだ。その著作の中で、ファニーは自分のことを「ヴィクトリア期女性の礼儀作法の標準を問題にし、違背している」者と描いた。女性は強いので、暑く湿気た場所で長距離を自転車で行くこと、あるいは、寒い中で高高度の山に登ることのように、厳しい肉体的行動に耐えることが如何に容易であるかを示すことで、家庭の外でも十分繁栄して行けることを示した。ファニーは筋肉の王国に挑戦した。「アルパイン・ジャーナル」におけるファニーの死亡記事は、彼女が直面した挑戦に触れ、彼女は「性の対立を苦しいと感じた」と言っている。この記事の著者は「意識されない感覚が、長い間男性に任されていた探検という領域に女性が入り込む新規さについて我々に語らせ、ある地域では存在していたかもしれず、 ...あるいは起こりつつあったのであり、 ...そのような雰囲気を我々はよそよそしいものと言うのであろうか?」と付け加えた。しかし、ヴィクトリア期登山に関するアン・コリーの研究では、ヒマラヤのような高高度よりも低い高度あるいは通常の生活で性差別があからさまなものだったと主張している。コリーは、「社会の圧力から出て来るような些細な意見とは離れて、高く、雪の線より上であるいは遠隔の地域で、女性登山家は十分に平等と権力を経験できる。 ... 彼女たちが選ぶならば、スポーツマンのようにあるいは男性と競い合う者のようにあることができる」と述べている。ティングレーはその著書『文学者伝記の辞書』のファニーに関する項目で、「積極的で、決意があり、妥協を知らない、世紀の変わり目のアメリカ人女性旅行家」とし、「職業的登山家や測量士として働き、最も遠いのはヒマラヤまで彼女とその夫が実行した遠征について著書を著した最初期の女性である。彼女は女性参政権の強力な提唱者であり、他の女性旅行者や登山者にとってロールモデルとなると自らを考えていたことを明らかにした」と書いている。 ファニーがその遺志で残した金を遣って、ウェルズリー大学は、毎年1人の卒業生に如何なる専攻であっても大学院での研究を行わせるために、ファニー・ワークマンの名前を付けた16,000ドルの奨学金を提供している。ブラインモーア大学はファニー・ブロック・ワークマン旅行奨学金を設立し、その基金の許す範囲で、考古学あるいは芸術史の博士候補者に与えることとしている。
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