登山の歴史とルート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 08:35 UTC 版)
「アルパマーヨ山」の記事における「登山の歴史とルート」の解説
最も人気のあるルートは、ブランカ山群の北側にあるカラス村から登る。ジョージとクロード·コーガンが参加したフランス・ベルギー合同隊は、1951年に初登頂を果たしたと主張していたが、ジョージとコーガンの本「アルパマーヨの登頂(The Ascent of Alpamayo)」の写真を調査した、G.ハウザー、F.クナウス、B.フーンとH.ウィードマンのドイツ隊は、1951年の合同隊が実際の登頂に至っていないとの結論に達した。そしてその後、ドイツ隊は1957年に北尾根を経由し初登頂を果たした。 「フェラーリルート」として知られている最も一般的な登頂ルートは、山の南西壁に位置している。カシミロ・フェラーリが率いるイタリアの登山家グループによって、1975年に開拓された。このルートは、高機能なアイゼンとアイスクライミング技術を必要とするとても困難なものであるが、ワンドイノルテ、アルテソンラフやワスカランノルテのような峰々と巨大な雪の壁や氷の尖塔「ペニテンテス」など、ヒマラヤの風景にも類似する比類のない眺めを堪能できる。登頂ルートは、他に2番目に人気のある「バスクフランスルート」など、少なくとも6つのルートがある。
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