ファニーの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:40 UTC 版)
「ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー」の記事における「ファニーの死」の解説
ロングフェローは家庭生活を愛する良き夫であり、良き父親であった。しかし、突然の悲劇に襲われた。 1861年7月9日、ファニーが子供の髪の房を封筒に入れて封蝋で封緘しようとしていた時に衣服に引火、重篤な火傷を負ったことで翌10日に死去した。44歳だった。ロングフェローはファニーの死にひどく落胆し、終生立ち直ることがなかった。ロングフェローの悲しみの強さは、ファニーの死後18年も経って彼女の思い出に書いたソネット「雪の十字架」(The Cross of Snow)の次の節からも見て取れる。 これが私が胸につける十字架 (Such is the cross I wear upon my breast) この45年間、景色がいくら変わり (These forty five years, through all the changing scenes) 季節がいくら変わろうと、彼女の死の日より変わらずに (And seasons, changeless since the day she died.)
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