突然の悲劇とは? わかりやすく解説

突然の悲劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 23:35 UTC 版)

玉の海正洋」の記事における「突然の悲劇」の解説

全勝優勝飾った1971年7月場所前後急性虫垂炎発症夏巡業最中にその痛みに耐えきれずに途中休場するなど容態芳しくなく、早急な手術必要だった。しかし横綱として責任感と、同年9月場所後に大鵬引退相撲控えており、手術して本場所休場すれば大鵬引退相撲にも出場できなくなるため、痛み止め刺し続けながら9月場所強行出場した。この場所は肋骨折ったにも関わらず12勝を挙げたが、これが結果として玉の海生命縮めることとなってしまった。 10月2日大鵬引退相撲では、大鵬最後横綱土俵入り太刀持ち務め翌日行われた淺瀬川健次引退相撲にも出場した玉の海出場直ち虎の門病院入院して虫垂炎緊急手術受けたが、腹膜炎寸前危険な状態だったという。その時点での手術後経過は順調で、10月12日退院する予定だった。なお、この時点11月場所出場に関して未定だったこともあり、本人も「退院後すぐに相撲取れないが、(巡業先では)土俵下から挨拶もしよう」と親しい人たちには伝えていたという。 ところが、退院前日10月11日早朝起床して洗顔終えて戻ったところ、突然右胸部の激痛訴えてその場倒れたその時、既にチアノーゼ反応起きており、顔は真っ青だったという。意識不明の状態で医師団懸命な治療が行われ、一時快方しかけたものの、その甲斐もなく午前1130分に死亡確認された。27歳だった。最期の言葉は「胸が苦しい…」という言葉であった急逝後、玉の海遺体病理解剖した結果直接死因は虫垂炎手術後併発した急性冠症候群及び右肺動脈幹血栓症現在の言い方では術後の肺血栓)であることが判明し、特に右の主管肺動脈には約5cmの血の塊が詰まっていたという。玉の海のような力士体型肥満体)の人間が、手術後血栓症発症しやすいのは現代では常識であるが、その当時はあまり知られておらず十分な予防策取られていなかったものと考えられるこれから全盛期迎えようとするのは確実だったため、誰もがその死を惜しんだ

※この「突然の悲劇」の解説は、「玉の海正洋」の解説の一部です。
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