町の誕生とは? わかりやすく解説

町の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 17:22 UTC 版)

アンフィポリス」の記事における「町の誕生」の解説

考古学検証によると、アンフィポリス付近では紀元前3000年頃から人間居住していたようである。戦略的な地形であったために、この地域は非常に早くから要塞化されていた。資源豊富なトラキア地方は、パンゲオ山脈から金や銀が産出され、また海軍建設必要な木材多く調達できる地域であり、ペルシアから見ても、アテナイから見ても非常に魅力的な土地であった。またトラキア地方は、スキタイからアテナイ穀物供給される海路上にあり、アテナイには特に重要な地域であった紀元前513年ペルシア軍はトラキア鉱山掌握しトラキア人たちに銀で税を納めるように強要した紀元前480年にはペルシア王のクセルクセス1世が川の神への生け贄として、9人の青年と9人の処女生き埋めにするよう強いた紀元前480-479年にペルシア敗退すると、アテナイトラキア鉱山支配管理しようした。紀元前465年アテナイ軍はアンフィポリス近くタソス島降伏へと追い込み紀元前436年にはとうとうアテナイアンフィポリスのストリモナス川近くに町を建築し資源豊かなトラキア攻略する足掛かりとした。 紀元前497年にはミレトス僭主ヒスティアイオス初め植民地建設し紀元前478年結成されアテナイ盟主とするデロス同盟が、トラキア地方支配盤石にしようとした。また紀元前465年にはアテナイエンナ=ホドイ(「9本の道」という意味)の植民地建設した。しかし、これらに住んでいた10,000人程の植民者たちは、トラキア人虐殺され結果となったニキアスen:Nicias)の子ハグノン指導者であった紀元前437年に、2度目植民地建設が同じ場所で行われた。このときアンフィポリス(「町の周り」という意味)という名が付けられた。 この名称について辞書学において多く議論なされているが、ストリモナス川が町の2方向を、「町の周り」を囲むようにして流れていることから生まれた、とトゥキュディデス説明している。また、9世紀編纂されたエティモロギクム・ゲヌイヌム(en:Etymologicum Genuinum)には、アンフィポリスについて、「アンフィポリスは、アテナイ人もしくはトラキア人の町であり、町がストリュモナス川に囲まれていたことから、かつては9つの道』と呼ばれていた。」と記載しており、実際の町の位置一致し、またトゥキュディデスの説とも重なっている。スーダ辞典フォティオス辞書においては別の説言及されており、ペリアンドロス(en:Periander)の息子マルシュアスによると、住民大部分が「町の周り」に居住したことから生まれたようであるという説が記載されている。しかし、最も有力な説ユリオス・ポリュデウケスによって提唱されたもので、「町の周り」に地峡があることから生まれた、という説である。 その後アンフィポリス住民のうち、アテナイ人はごく少数であったが、アテナイトラキア地方における重要拠点であることからペロポネソス戦争では必然的に支配する側であるアテナイ味方であった。ところがスパルタ将軍ブラシダスは、アテナイ強欲さや残忍さ多くトラキア人たちが辟易しているのに目をつけ、これを利用することを思いつく紀元前424年の冬、重装歩兵1000人とヘイロタイ700人を率いたブラシダスアンフィポリス到着すると、戦うことなく平和裏都市奪いたい城壁から通告また、立ち去りたい住民無条件通行許し一方でスパルタ協力する者に危害加えないことを約束したアンフィポリスに住むトラキア人はむしろこの申し出喜び、こうしてブラシダス無血アンフィポリス占領したアテナイブラシダスアンフィポリス進軍をまったく予期しておらず、知らせ聞いたアテナイ救援軍派遣した頃には、ブラシダス近隣部族(トラキア部族であるエドニア人とカルシディア人)と同盟結んでいた。アテナイ軍を率いていたストラテゴストゥキディデス将軍は、タソス島から半日かけてエイオンen:Eion)の港に到着したものの、アンフィポリス奪回することはかなわなかった。そのため、アンフィポリス失ったのはトゥキディデスのせいであるとしたアテナイの政治家たちは、彼を陶片追放追放した一方で、その功績にもかかわらずスパルタから援軍得られなかったブラシダスは、少な兵士アンフィポリス手放さないために苦慮しアテナイ側と休戦交渉結ぼうとする。アテナイの政治ニキアスブラシダスと同様、和平交渉望んだが、アテナイの政治家で将軍でもあったクレオン戦争扇動し一躍民衆の人気者となる。 はたして次のアンフィポリス救援軍司令官となったクレオン紀元前422年アンフィポリスの戦いen:Battle of Amphipolis)を開戦する。しかしブラシダス奇襲受けて敗走する羽目陥ったクレオンは、追撃するトラキア人によって殺害されブラシダスもまた頭部負傷して戦死したブラシダスアンフィポリス英雄として埋葬され手厚く葬られた。そのためいまでもアンフィポリスブラシダスこそが町創設者だとされている。 その後アンフィポリス独立保ち続けたが、マケドニア王国ピリッポス2世によって、アテナイ援助甲斐なく攻略された。

※この「町の誕生」の解説は、「アンフィポリス」の解説の一部です。
「町の誕生」を含む「アンフィポリス」の記事については、「アンフィポリス」の概要を参照ください。

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