町の起こりとソビエト連邦時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 01:37 UTC 版)
「ステパナケルト」の記事における「町の起こりとソビエト連邦時代」の解説
中世アルメニアに文献に現れるこの町の最古の呼称はヴァララクン(アルメニア語: Վարարակն, ラテン文字転写: Vararakn、「速い川」)であり、1847年にハンケンディに改称されるまでこの名称であった。アゼルバイジャンの文献では、この町の起源は18世紀後半にアゼルバイジャン人のカラバフ・ハーンが築いたとしており、「ハンケンディ」(ハーンの村)の呼称はこれに由来するとしている。 現代の町は十月革命の後の1917年に、ハンケンディと呼ばれていたこのアゼルバイジャン領の村に築かれた。1923年、バクー出身のアルメニア人の共産主義指導者・ステパン・シャウミャンにちなんでステパナケルトと改称され、アゼルバイジャン領のナゴルノ・カラバフ自治州の首都とされた。ソビエト連邦時代、ステパナケルトはこの地域の拠点都市へと発展した。 1926年、ソビエト連邦の当局は著名なアルメニア人の建築家・アレクサンドル・タマニアンによる新しい都市デザインを採用し、その後1930年代と1960年代に、タマニアンによる初期の計画に沿う形であわせて2度の拡張計画が認められた。1980年代半ばまでステパナケルトは町の経済拠点として機能し、町には19の製造施設があった。
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