著名なアルメニア人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/13 15:58 UTC 版)
「シンガポールのアルメニア人」の記事における「著名なアルメニア人」の解説
キャチック・モーゼス (モーベッシアン) (Catchick Moses (Movessian)) (1812年 - 1895年)は1845年、後に全国的な英字紙となるザ・ストレーツ・タイムズの協同設立者となった。新聞は利益をあげなかったため、1年後には新聞を売却した。キャチック・モーゼスは1895年に死去した。 サーキーズ兄弟 (マーチン・ティグラン・アヴィエット・アシャーク)は、ラッフルズ・ホテルやマレーシア・ペナン島のイースタン・アンド・オリエンタル・ホテル、ミャンマー・ヤンゴンのStrand Hotel(英語版)など、東南アジアに複数のホテルを創業したが、シンガポールに移住したのはラッフルズホテルを創業したティグランのみである。 アグネス・ヨアキム (Agnes Joaquim) は、1854年4月7日にシンガポールに生まれた。アグネスは父の死後、一家の長女として10人の兄弟を育てる母を助けた。 彼女は結婚することなく、ヒル通りの聖グレゴリーのアルメニア教会とタンジョン・パガーにある家の庭園での園芸作業で人生を過ごした。1899年、あるフラワー・ショーにて、アグネスはヴァンダ・ミス・ヨアキムという蘭を初めて披露したが、この花で彼女は1等賞と12海峡ドルを獲得した。この時彼女はガンを患っており、3ヶ月後の同年に44歳で死去した。1981年、ヴァンダ・ミス・ヨアキムはシンガポールの国花に指定された。 彼女の墓碑はシンガポールのアルメニア教会に立っており、次のような記載がある。「愛すべきアグネスの記憶において、パルシック・ヨアキムの長女、1854年4月7日生、1899年7月2日没。彼女自身の仕事が、彼女を賞賛させる。汝の十字架以外に、手の中に頼るものなし」。 シンガポール在住のアルメニア人には、2005年よりシンガポールのチェス・ナショナル・チームのコーチを務めるアショット・ナダニアン (Ashot Nadanian) Ashot Nadanian(英語版)や、2008年よりシンガポール・カメラータ室内オーケストラとタングルウッド音楽学校の指揮者であるゲボルグ・サルキシャンGevorg Sargsyan(英語版)が含まれる。
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