新開地から「千田町」の誕生まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 15:27 UTC 版)
「千田町 (広島市)」の記事における「新開地から「千田町」の誕生まで」の解説
千田町はもともと藩政期に広島湾頭に造成された新開地(埋立地)である。当時の広島城下国泰寺村と国泰寺沖新開に跨がる位置にあり、村内を通る平田屋川・西塔川の2運河は後年、千田町(旧町名)地区の東西の境界となった(後出)。明治期になって京橋川を隔てた宇品港の築港事業が行われると1885年には村内を横断し市中心部と宇品に至る新道と御幸橋が建設され、新道は当時の広島県知事・千田貞暁に因み「千田通り」と呼ばれるようになった。さらに大正期の1912年にはこの千田通りに現在の広島電鉄宇品線が敷設・開業し交通の整備も進んだ。そして1916年になって国泰寺村から分割されて千田貞暁または千田通りの名に因む「千田町」が新設された。
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