生い立ち・前科
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:42 UTC 版)
「奈良小1女児殺害事件」の記事における「生い立ち・前科」の解説
小林薫はプロパンガスなどの販売店を経営する父親のもとで3人兄弟の第一子長男として出生した。小林の父親はしつけが厳しく、幼少期から小林やその1歳下の弟が悪いことをした際に暴力をふるうこともたびたびあったが、母親は小林らを庇い優しく接していた。 学生時代は人と話すことが苦手で、幼稚園・小学校・中学校といじめの標的にされており、教室で1人で過ごすことが多かった。その一方で小学校2・3年生ころからは万引きを繰り返したり、母親が死亡して以降は喫煙などの非行も行うようになり、中学入学後は原動機付自転車(原付)を盗むなどの非行も繰り返した。小学校4年生の時に母親が三男の出産と同時に死去し、以降は父親・祖母の手で育てられたが、父親からゴルフクラブ・金属バットで殴られるなど虐待を受けていた。その後、1984年(昭和59年)4月には大阪府豊中市の私立高等学校へ進学したが、入学後も家計を助けるため新聞配達を続けていた。一方、高校2年の時に知人から借りたアダルトアニメのビデオ(兄と年少の妹との性交渉などを内容とするもの)を見て以来、女児を性交渉・わいせつ行為の対象として見るようになり、高校3年の時には2度にわたり、小学生の女児に後ろから抱き着き、胸を触ったり、スカートをまくり上げて下着の上から陰部を触ったりするわいせつ行為を行った。 1987年(昭和62年)に高校を卒業すると大阪市内の居酒屋チェーン店・箕面市の新聞販売所などで勤務したが、後者で勤務していた1989年(平成元年)12月に箕面市内で2人の女児(いずれも当時5歳)の陰部を弄ぶなどしたとして、強制わいせつ罪・窃盗罪で懲役2年・執行猶予4年(保護観察付)の有罪判決を受けた。その後はトラック運転手として運送会社で勤務し、成人女性と交際するなどしていたものの、女児への性的関心を抑えることができず、1991年(平成3年)7月21日17時30分ごろには住吉区苅田の公団住宅前で、住人の女児(当時5歳・幼稚園児)にわいせつ行為をしようとし、泣き出しそうになった女児の頸部を両手で絞め付けるなどして、女児の首に1週間の傷害を負わせた。小林はこの事件により住吉警察署(大阪府警察)に殺人未遂容疑で逮捕され、強制わいせつ罪で起訴され、同年10月に強制わいせつ致傷罪で懲役3年の実刑判決を受けた。これにより前刑(1989年の事件)の執行猶予も取り消され、併せて約4年間にわたり服役したが、1995年(平成7年)11月に仮出所した。
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