生い立ち・創業まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 01:24 UTC 版)
1979年、大阪府大阪市の不動産業の長男として出生、14歳までの少年期を大阪で過ごす。地価が高騰し続けるバブル景気の真っ只中、父の手掛ける事業は巨額の利益を生み、一家は何ひとつ不自由のない生活を送っていたが、小学校卒業を間近に控えたタイミングでバブル経済が崩壊。裕福な家庭は一変し、父親は蒸発した。父が残した借金は、母親のもとへ。暴利の取り立てに耐えかねた母はついに、中学2年生となった徹人と弟妹を連れて夜逃げを決行する。 岐阜県岐阜市に辿り着いた母子であったが、貧困生活は変わらぬまま。茹でたキャベツの芯を食べ、空腹を満たすこともあった。岐阜県立岐南工業高等学校に入学後は、深夜4時までアルバイトをし家計を助ける一方、ラグビー部に入部し、恵まれた体躯と強い精神力を武器にセンターとして活躍した。 高校卒業後、岐阜市内の建設会社に就職。土木の現場監督として2年間働いた後、かつてのラグビー部の仲間と、社員3名の西岡興業を立ち上げ独立。岐阜県内の工務店を駆け回り、「普通の人の倍の面積を刈ります」と草刈りの仕事を請うたものの、冬には草が自然と枯れるため、西岡興業はいきなり倒産の危機に見舞われる。しかし、その厳冬期に下水道工事の宅内配管を手で掘るという、過酷な仕事を請け負うと、その後は東海北陸自動車道の基礎工事を担うなど、経営は安定。同時に土木、建設技術を身に付けたことで、外構、土木工事と事業の幅を伸ばしていった。
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