熱血の否定と再構築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 17:36 UTC 版)
「タッチ (漫画)」の記事における「熱血の否定と再構築」の解説
本作品では、1970年代まで主流だった野球漫画やスポ根ものの定石を否定、あるいはパロディ化するような面も見られる。 作品序盤の達也は、優秀な弟の和也に対して、いい加減で不真面目なキャラとして描かれている。和也の死後、達也が亡き弟とヒロインが交わした約束を引き継ぐため野球部に入り努力する形となるが、懸命な姿を前面に押し出したり声高に主張する訳でもなく、時には練習をさぼり、時にはどこか涼しい顔をしてみせる。高校3年夏の須見工戦10回裏の守備の場面、疲労困憊の達也は心の内では愚痴をこぼすも、チームメイトから声がかかると軽口を叩いて見せる。 甲子園開幕直前、各地方大会を勝ち上がったライバル達が一堂に会して、「須見工の新田を抑えた」達也に対して名乗りを上げるが、試合のシーンは一切描かれない。最終話は主要登場人物の日常が淡々と描かれ、最後のシーンで甲子園の優勝記念皿が映し出されて結果を示すのみに終わる。その日常の中で達也の前にライバル・新田明男が現れ、新たなステージでの再戦を示唆するも、達也はこれを取り合わない。 あだちはデビュー当初、いくつかの熱血スポーツ漫画を手掛けたが、当時は『巨人の星』や『あしたのジョー』などの影響を受けたスポ根全盛の時代であり、編集者から泥臭さや努力する姿を描くように要求されていた。あだちの絵柄は当時から柔らかみのあるもので、「汗臭く、泥臭い」といった要求は望ましいものではなかった。その後、知り合いの編集者が少女誌に異動したことを契機に少女誌に活躍の場を移し、ようやく自分のペースを掴むこととなった。1970年代後半、再び少年誌からの誘いを受けると、「熱血ものより柔らかいもの」が読者に尊ばれる時代に移行したこともあり『ナイン』や『みゆき』のヒットへと至った。 『ダ・ヴィンチ』2012年12月号のインタビューによれば、熱血そのものを嫌っていた訳ではないものの、あだちが好んだ熱血は「当時流行していた熱血」とはまったく異質なものだった。そのため、熱血ものの登場人物たちが「努力する姿や頑張る姿を声高にアピール」すること、あるいは1970年代後半以降に流行したラブコメディもののカップルたちが「秘めた思いを簡単に口にする」ことに野暮さを感じていた。本作の描写について、あだちはスポ根や熱血の茶化し自体が目的ではなく、登場人物の内に秘めた思いを「言葉ではなく態度で伝える」、いわゆる「粋」な形で表現するために模索した結果だとしている。こうした「野暮」や「粋」といった感覚は落語から学んだものだった。 また、宇都宮滋一著『「ダメ!」と言われてメガヒット 名作マンガの知られざる制作現場』によれば、『タッチ』の初代担当編集・白井康介から担当を引き継いだ三上信一と、あだちとの間でせめぎ合いもあった。三上は軟式野球経験者でラブコメディよりも熱血野球漫画を好み、あだちにも彼が初期に手掛けた野球漫画『牙戦』(原作:滝沢解)のような内容を描かせたいと考えていた。一方、あだちは三上の意に反して「どんどん嫌いな漫画を描いてやろう、あいつを裏切ってやろう」と考えていた。自分の要求とは異なる表現が描かれることを三上は不審に思ったものの、あだちの意図を「ラブコメっぽく見えても根底にあるのは熱血」だと理解するに至った。 斎藤宣彦による『いきなり最終回 あの傑作が終わる…』での取材によれば、あだちは連載当初「恋愛をも犠牲にして野球にひたすら打ち込む姿がかっこいい」とされていた風潮の中で、それに逆らい「女の子のために野球をする」姿をあえて描いたと語っている。その一方で連載も佳境に入り、あだちのフォロワーが増え始めると、それとは正反対に泥臭い姿を描きたい衝動にも駆られたと語っている。こうした軸のブレ、揺り戻しのような現象について、あだちは自身の「天邪鬼な性格」ゆえとしている。
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