熟語と複合語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 14:52 UTC 版)
言語学において単語は、単純語と複合語に分類されるが、漢字の結合という意味での熟語の概念をこれに適用する際、しばしば問題が生ずることがある。 例えば前記「鉛筆」について考えてみると、中国語では「qiān」「bǐ」という2つの単語から構成されていると意識されるため複合語に分類可能であるのに対し、日本語の「えんぴつ」は2つの単語(あるいは内容形態素)に分割することができないため、複合語とはみなしがたい。また「銀行」のような語は、「銀」(通貨を意味する)、「行」(業者を意味する)から構成され「通貨を扱う業者」という語源をもつが、日本語において単に「ギンコー」と発音された場合、そのような語源が意識されることは少ないという。同様に「国際」「生活」「意味」「政治」「文化」「理由」など、日常用いる熟語のうち機能的に単純語として意識される語は少なくなく、日本語文法の観点からも単純語として差し支えない。 また、言語学において、内容形態素に接辞が付加された語を派生語と呼ぶことがある。日本語における「長文」などの語は、「文(ぶん)」を内容形態素、「長(ちょう)」を接頭辞とみなせば、派生語とみなすことができる。一方で「大木(たいぼく)」のような語の場合、「ぼく」という単語が存在しないため、派生語とは言いがたい。このように日本語の漢字連接には派生の原理を適用しにくい場合が多く、一律な分類は難しい。 日本語においても明らかに2つの内容形態素に分割できる漢熟語には「鉄棒」「熱愛」などがあるが、例えば「頭脳」における字音「頭(ず)」が「頭が高い」のような一部慣用句においてのみ自由形態素となることもあり、漢熟語における単純語と複合語の境界は曖昧である。 欧米系の言語学においては、このように接辞と単語の中間的な形態素をもつ語を「連結形」(combining form)などと呼ぶこともある。例えば、英語の“biography”(伝記)という単語は、“bio-”(生活の)と“-graphy”(文書)という2つの要素に分析することができるが、通常これらが自立した語として用いられることはない。 「大阪(おおさか)」と「神戸(こうべ)」をあわせて「阪神(はんしん)」と読み方が変わる現象がみられるなど、日本人は語の発音よりもむしろ、その語に対する漢字表記がもつ表意性を念頭に語彙化を行っているという報告がある。この観点からは先の「大木(たいぼく)」の例は、和語である「き(木)」の一種の派生と解釈可能である。近年では漢字の語構成は伝統的な形態論ではなく、むしろ認知心理学や心理言語学の分野で研究が進められている(#和語まで拡大した分類と心理言語学も参照)。
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