為政者の基本的姿勢と人材登用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 01:33 UTC 版)
「南洲翁遺訓」の記事における「為政者の基本的姿勢と人材登用」の解説
一 廟堂(びようどう)に立ちて大政(たいせい)を為すは天道を行ふものなれば、些(ちつ)とも私を挟(はさ)みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操(と)り、正道を蹈(ふ)み、広く賢人を選挙し、能(よ)く其の職に任(た)ふる人を挙げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫(そ)れ故(ゆえ)真に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶(かな)はぬものぞ。故に何程国家に勲労有るとも、其の職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其の人を選びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之れを愛(めで)し置くものぞと申さるるに付、然らば『尚書』仲虺(ちゆうき)之誥(こう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする」と之れ有り、徳と官と相ひ配し、功と賞と相ひ対するは此の義にて候ひしやと請問(せいもん)せしに、翁欣然(きんぜん)として、其の通りぞと申されき。 二 賢人百官を総(す)べ、政権一途に帰し、一格の国体定制無ければ縦令(たとい)人材を登用し、言路を開き、衆説を容るるとも、取捨方向無く、事業雑駁(ざつぱく)にして成功有るべからず。昨日出でし命令の、今日忽ち引き易ふると云ふ様なるも、皆統轄する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。 三 政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。其の他百般の事務は皆此の三つの物を助(たすく)るの具也。此の三つの物の中に於て、時に従ひ勢に因り、施行先後の順序は有れど、此の三つの物を後にして他を先にするは更に無し。 四 万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし驕奢(きようしや)を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創(そうそう)の始(はじめ)に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾(びしよう)を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷(まじき)也。今となりては、戊辰の義戦も偏(ひと)へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、頻(しき)りに涙を催(もよお)されける。 五 或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否。不為児孫買美田。」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したりとて見限られよと申されける。 六 人材を採用するに、君子小人の弁酷に過ぐる時は却て害を引き起すもの也。其の故は、開闢以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、其の長所を取り之れを小職に用ゐ、其の材芸を尽さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才芸有りて用便なれば、用ゐざればならぬもの也。去りとて長官に居ゑ重職を授くれば、必ず邦家を覆すものゆゑ、決して上には立てられぬものぞ」と也。 七 事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀を用う可からず。人多くは事の指支(さしつか)ふる時に臨み、作略を用て一旦其の指支を通せば、跡は時宜次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩ひ屹度(きつと)生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之れを行へば、目前には迂遠なる様なれども、先きに行けば成功は早きもの也。 二〇 何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行はれ難し。人有りて後ち方法の行はるるものなれば、人は第一の宝にして、己れ其の人に成るの心懸け肝要なり。
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