漫画家志望から映画監督へとは? わかりやすく解説

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漫画家志望から映画監督へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:44 UTC 版)

園子温」の記事における「漫画家志望から映画監督へ」の解説

映画監督として活動する以前漫画家志望でもあり、法政大学入学後20歳時にガロ』に漫画持ち込みを行うも長井勝一から1996年に「まだ他人気持ちがよく判らないんじゃないかな」とボツ喰らうその後リベンジのため本を読み漁り映画年間百本鑑賞したことがきっかけで8mm映画撮り始める。 1986年8mm映画『俺は園子温だ!』がぴあフィルムフェスティバル(PFF)入選翌年8mm映画『男の花道』でグランプリ受賞1990年、ぴあフィルムフェスティバルスカラシップ作品として制作され16mm映画自転車吐息』は、第41回ベルリン映画祭正式招待された。 1993年、『部屋』を制作翌年サンダンス映画祭審査員特別賞受賞。 『桂子ですけど』(1996年)、『風』(1998年通産省制作)など、映画制作続ける。 一方街頭パフォーマンス東京ガガガ」を主宰する4000人のパフォーマー渋谷ストリートで展開。このドキュメント収めたジャン=ジャック・ベネックステレビ番組フランスで視聴率40パーセント超えるファッションデザイナー荒川真一郎とのプロデュース短編『0cm4』(1999年)を上映した1994年3月10日17日吉祥寺バウスシアター全館貸し切り園子温降臨祭」を開催1995年100時間に及ぶ素材からなる大長編映画BAD FILM制作取りかかる2012年完成)。 2000年、『うつしみ』を制作劇場公開2001年、『自殺サークル』を公開新宿武蔵野館における過去最高の観客動員数となった。カナダファンタ映画祭ファンタジア2003)にて“観客賞”を獲得同時に今年、最も優れた映画に贈る賞”も獲得2002年度日本映画プロフェッショナル大賞10位 。 2002年、『HAZARD』という ニューヨーク舞台オダギリジョー扮する不良青年青春映画制作した2003年前作続けてオダギリ田中哲司村上淳市川実和子等が出演した夢の中へ』を制作。さらに同年宮崎ますみ主演R18指定家族劇『奇妙なサーカス』を制作2006年紀子の食卓』を公開第40回カルロヴィヴァリ映画祭コンペティション部門の“特別表彰賞”と、国際シネマクラブ連盟による“ドン・キホーテ賞”を受賞。また韓国開催され第10回プチョン国際ファンタスティック映画祭コンペティション部門観客賞主演女優賞受賞した2007年テレビ朝日系ドラマ時効警察』に監督として参加した2008年、『愛のむきだし』を公開第9回2008年東京フィルメックスにおいて観客投票によって選出される「アニエスベー・アワード」を受賞第59回2009年ベルリン映画祭出品され、「カリガリ賞」「国際批評家連盟賞」を受賞した。続く『ちゃんと伝える』では故郷豊川舞台にした。 2011年、『冷たい熱帯魚』を公開第67回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門に正式出品した。さらに同年恋の罪』を公開

※この「漫画家志望から映画監督へ」の解説は、「園子温」の解説の一部です。
「漫画家志望から映画監督へ」を含む「園子温」の記事については、「園子温」の概要を参照ください。

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