漫画家協会の設立
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小島は「あらゆる分野の漫画家たちが一同に介し、社会的活動を通じてお互いを認識し表現者として安心できる環境づくり」を目指すため、すべての漫画分野を対象とする職能団体の必要性を感じ、「漫画界全体の大同団結」を望むようになった。1959年、独漫派は存続派と解散派の不和が深刻化し、総会での投票によって解散が決定していた。この前後に小島は何度も「漫画集団」に誘われて、そのたびに固辞していたが、「漫画家の健康管理や著作権問題を団体で解決する」ことを条件に、1963年11月、漫画集団に加入する。 小島の試みは、1964年の日本漫画家協会設立で結実する。小島は協会の初代事務所として、かつて独漫派の共同事務所だった貸しビルの1室を提供した。協会設立後は、著作権者に無断でキャラクター商品を製造・販売したり、漫画家に原稿料の未払いを続けたりする各企業に抗議を申し入れる活動を地道におこない、「漫画家の地位と福祉向上」につとめた。日本漫画家協会では理事、常務理事(1971年4月)、初代総務部長(1985年12月)を歴任したのち、1992年6月に、加藤芳郎の後任として第4代理事長に就任した。2000年5月、理事長を退任してやなせたかしに引き継ぐとともに、自身は会長となった。2011年には名誉会長に就任した。
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