漢詩の歴史とは? わかりやすく解説

漢詩の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 08:23 UTC 版)

漢詩」の記事における「漢詩の歴史」の解説

漢詩原型は周の時代出来た五経1つである中国最古詩編詩経300余編の作品は最も古い形の漢詩である。『詩経』には毎句3から9字の多様な形式収められ、この形式発展させたのが時代の『楚辞』である。『楚辞』の賦の形式内容漢代楽府発生促した漢代楽府には、民間流行した歌謡文人創作歌謡の二系統があり、郊廟歌、鼓歌、相和歌に分類される。句の長短不揃いのものは雑言詩と呼ばれるまた、以前散逸した古い楽府表題新たな音節加えた擬古楽府生まれた。後に、楽府声律定格化し五字および七字を一句とする詩が生まれた高祖大風歌が七言詩の先鞭とされる五言詩、七言詩は三国時代の魏の武帝曹操文帝曹丕建安曹植阮籍、三張(張載、張協、張亢)、二陸(陸機陸雲)、両潘(潘岳、潘尼)を経て老荘的な自然主義の謝霊雲山水派の陶淵明継承された。この頃沈約竟陵派の王融による声律研究が行われ、上宮体、四傑体と称する駢麗体詩風生まれた。こういった詩は沈佺期宋之問といった近体声律基礎となり、近体詩律詩絶句)は盛唐李白杜甫によって完成された。一方散文的手法求めた険怪派の韓愈などは通俗性と写実性求め晩唐白居易のような功利派の詩を生み出した白居易楽天)の新楽府は、李賀などの唯美派作風影響及ぼした唐代の詩のことを唐詩呼び唐詩を更に初唐盛唐中唐晩唐区分けされようになった。特に盛唐李白杜甫の詩は後世「詩は必ず盛唐」と呼ばれるように、模範とされた[要出典]。日本江戸時代流行した唐詩選や、中国清代流行した唐詩三百首等、唐詩傑作選広く東アジア読まれている[要出典]。 宋の神宗元祐年間になると漢詩流行し江西派と南渡派が出現したが、詩よりも詞が流行した中主と李後主によって開かれた文運受けて北宋では晏殊欧陽脩黄庭堅蘇東坡などが出現し南宋では詞に散文的要素加わり辛稼軒などの通俗派の詞が生じた明の時代に入ると、高啓などの北郭十子、唐粛らの会稽の二粛、趙介など南園の五子、らの十子前七子後七子などが出て復古主義主張した。特に、王世貞復古作風文壇主流となった。 清の時代に入ると、江左の三家銭謙益呉偉業・襲鼎孳)に続いて神韻派(王漁洋)、浙西派、格調派沈徳潜)、性霊派(袁随園)の詩人登場した現代中国でも漢詩人少なからずおり、魯迅毛沢東等、日本市販漢詩集にも採られている詩人は多い[要出典]。

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