溢れ出た戦争文学
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この大戦における大量殺戮の衝撃によって生み出された作品として、ロバート・C・シェリフの戯曲『旅路の終わり』(1928)が注目されたのに続いて、ドイツ側からの大戦の経験による作品には、エルンスト・グレイザー『1902年組』(1928)は戦時中の少年時代、ルードウィヒ・レン『戦争』(1928)は戦争に翻弄される兵士やその家族を描き、ギムナジウム時代に徴兵されて従軍したエーリヒ・マリア・レマルク『西部戦線異状なし』はナチス政権下では反戦的として圧迫された。英雄的な活躍で知られるエルンスト・ユンガーは、1920年代に『内的体験としての戦争』『総動員』などの作品で戦場の美学を描いた。軍医として各地を転戦したハンス・カロッサはその体験記『ルーマニヤ日記』(1924)他を残し、従軍を経験し『戦争詩篇』などを残したシーグフリード・サスーンや、ルパート・ブルック、ウィルフレッド・オーエン、ロバート・グレーヴスらは戦争詩人と呼ばれた。世紀末ウィーンのカール・クラウスは長大な戯曲『人類最後の日々』(1922)で、ドイツでの第一次世界大戦の進行を、政治家や軍人や市民など、あらゆる局面において活写した。 フランス軍として出征したジャン・ジオノは『大群』(1931)で兵士たちの悲惨さを描いた。マルグリット・ユルスナール『とどめの一撃』(1939)は、バルト海沿岸地方で、第一次世界大戦とロシア革命に巻き込まれた人々について、友人から聞いた挿話を小説化したもので、作者自身「この事件自体が悲劇というジャンルのあらゆる要素を含んで」いると述べる作品となっている。カナダ軍として従軍したハンフリー・コッブの『栄光の小径』(1935)は、スタンリー・キューブリックによって映画化され、塹壕戦の様相と戦争の愚行を象徴する作品として知られる。イタリアで前線指揮官として従軍したエミリオ・ルッスの体験を記した『戦場の一年』(1938)は、反ファシズム運動のために亡命した後にパリで刊行された。 アメリカ軍としてイタリア戦線に従軍したアーネスト・ヘミングウェイは『武器よさらば』(1929)などがあり、またこの体験によってジョン・ドス・パソス『三人の兵士』(1921)などとともに、ロスト・ジェネレーションと言われる作家群を生み出した。四肢を失う重傷を負って帰国した兵士を描いたダルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』(1939)は反戦的な内容のために後に発禁とされる。情報員としての活動もしていたサマセット・モームは、大戦中のスイスやロシアでの経験を元にしたスパイ小説『アシェンデン』(1928)を書いている。ジェームズ・ヒルトン『私たちは孤独ではない』(1937)は、開戦当時のイギリスでスパイの嫌疑をかけられたドイツ人少女の悲劇を描いたもの。ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』(1925)、『灯台へ』(1927)では大戦で傷ついた人々の意識の流れが追われている。オーストリア(ハプスブルク帝国)がイタリア独立戦争での敗戦から始まり、第一次世界大戦に至る没落が、ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲』(1932)では描かれた。 異色のものとしては、カナダ軍に義勇兵として入隊し、フランス北部で歩兵として戦った日本人の一人、諸岡幸麿による回想録『アラス戦線へ』(1935)がある。 戦争で多くを破壊された人々の精神の現れとして、この時代の文学を「不安の文学」とも呼び、その延長で既成価値を否定しようとするダダイズムにも影響を与えた。またこの大戦を契機にH.G.ウェルズは世界国家の理想を掲げるようになり、アンドレ・ジイドは共産主義に接近しまた幻滅するといった影響を受けた。
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