溥儀との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 08:47 UTC 版)
「レジナルド・ジョンストン」の記事における「溥儀との出会い」の解説
その後、辛亥革命後も紫禁城に住んでいた清朝皇帝の愛新覚羅溥儀(在位1908年-1912年)の後見役的立場になっていた醇親王載灃と、西太后の側近であった李鴻章の息子で、清国の欽差全権大臣を務め、駐イギリス特命全権大使でもあった李経方の勧めによって、1919年に溥儀の帝師(家庭教師)に選ばれ、ヨーロッパ人としては初めて紫禁城の内廷に入った。 溥儀は当初、見ず知らずの外国人であるジョンストンを受け入れることを拒否していたものの、ジョンストンとの初対面時にその語学力と博学ぶりに感心し、一転して受け入れることを決断した。その後は家庭教師として溥儀に大きな影響を与え、その信頼を得た。
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