消防・病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:57 UTC 版)
東京消防庁には事件発生当初、「地下鉄車内で急病人」の通報が複数の駅から寄せられた。次いで「築地駅で爆発」という119番通報と、各駅に出動した救急隊からの「地下鉄車内に異臭」「負傷者多数、応援求む」の報告が殺到したため、司令塔である災害救急情報センターは一時的にパニック状態に陥った。 通報を受け、化学機動中隊・特別救助隊・救急隊など多数の部隊を出動させ被害者の救助活動や救命活動を行った。東京消防庁はこの事件に対して救急特別第2、救助特別第1出場を発令、延べ340隊(約1,364人)が出動し、被害者の救助活動・救命活動を展開した。 この事件では特別区(東京23区)に配備されているすべての救急車が出動したほか、通常の災害時に行われている災害救急情報センターによる傷病者搬送先病院の選定が機能不全となり、現場では、救急車が来ない・救急車が来ても搬送が遅いという状況がみられた。 緊急に大量の被害者の受け入れは通常の医療施設では対応困難なものであるが、大きな被害の出た築地駅至近の聖路加国際病院は当時の院長日野原重明の方針 から大量に患者が発生した際にも機能できる病院として設計されていたため、日野原の「今日の外来は中止、患者はすべて受け入れる」との宣言のもと無制限の被害者の受け入れを実施、被害者治療の拠点となった。また、済生会中央病院にも救急車で被害者が数十名搬送され、一般外来診療はただちに中止。その後、警察から検証のためにとの理由で、被害者の救急診療に携わった病院スタッフの白衣などが押収された。虎の門病院も、数名の重症被害者をICU(集中治療室)に緊急入院させ、人工呼吸管理、大量のPAM投与など高度治療を行うことで治療を成功させた。また、翌日の春分の日の休日を含め特別体制で、数百人の軽症被害者の外来診療を行った。 有機リン系中毒の解毒剤であるプラリドキシムヨウ化メチル(PAM)は主に農薬中毒の際に用いられるものであり、当時多くの病院で大量に保管する種類の薬剤ではなく、被害がサリンによるものだと判明すると同時に都内での在庫が使い果たされてしまった。 聖路加国際病院から「大量のプラリドキシムヨウ化メチル(PAM)が必要」と連絡を受けた、名古屋市東区に本社を置く薬品卸会社のスズケンは、首都圏でのPAMの在庫がほとんどなかったことから、東海道新幹線沿線にある各営業所および病院・診療所にあるPAMの在庫を集め、東京に至急輸送するために、名古屋駅から社員を新幹線に乗せ、浜松・静岡・新横浜の各駅のホームで、乗っている社員に直接在庫のPAMを受け渡して輸送する緊急措置をとった。陸上自衛隊衛生補給処からもPAM2,800セットが送られた。またPAMを製造する住友製薬は、自社の保有していたPAMや硫酸アトロピンを関西地区から緊急空輸し、羽田からは自動車でパトロールカー先導の輸送(道路交通法で、緊急車両認定を受けていない自動車でも、他の緊急車両の先導があれば緊急走行ができると定められているため)にて治療活動中の各病院に送達した。PAMは赤字の医薬品であったが、系列の住友化学にて有機リン系農薬を製造していたため、会社トップの決断で、有機リン薬剤を作っている責任上解毒剤も用意しておくのは同社の責任だとして毎年製造を続けていた。 有機リン系農薬中毒の治療に必要なPAMの本数は一日2本が標準であるが、サリンの治療には、2時間で2本が標準とされる。 当時サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、信州大学医学部附属病院第三内科(神経内科)教授の柳澤信夫がテレビで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に似ていることに気付き、その対処法と治療法を東京の病院にファクシミリで伝えたため、適切な治療の助けとなった。 この事件は、目に見えない毒ガスが地下鉄で同時多発的に散布されるという状況の把握が非常に困難な災害であり、トリアージを含む現場での応急救護活動や負傷者の搬送、消防・救急隊員などへの二次的被害の防止といった、救急救命活動の多くの問題を浮き彫りにした。 警視庁科学捜査研究所の発表により、医療機関は対NBC兵器医療を開始した。
※この「消防・病院」の解説は、「地下鉄サリン事件」の解説の一部です。
「消防・病院」を含む「地下鉄サリン事件」の記事については、「地下鉄サリン事件」の概要を参照ください。
- 消防・病院のページへのリンク