浮上不能事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:16 UTC 版)
潜航中の漏水ないし船体破損による浸水で浮上不能となった事案である。海上公試の潜航試験において事故があった場合、造船所職員の民間人が犠牲になることもある。 代表的な事例 第六潜水艇(日本) - 1910年4月15日、死者14名岩国港沖の広島湾で潜航訓練中、吸気筒から浸水し浮上不能となり、全員死亡。乗員が最期まで冷静に持ち場につき、また艇長は原因の記録等を記した遺書を残していたため、美談として有名になった。 艇は事故後再就役し、晩年には「第六潜水艦」に改称された。 スコーラス(アメリカ) - 1939年5月23日、死者23名ポーツマス沖で潜航試験中、後部機関室より浸水し沈没。レスキュー・チェンバーを用いた救難作戦が史上初めて実施され、33名が救出された。 艦は同年9月浮揚され、翌年「セイルフィッシュ」に改称されて再就役した。 セティス(イギリス) - 1939年6月1日、死者94名リバプール湾で海上公試の潜航試験中、艦首魚雷発射管より浸水し沈没、全員死亡。 艦は同年10月浮揚され、翌年「サンダーボルト」に改称されて就役した。 ランセットフィッシュ(アメリカ) -1945年3月15日、係留中の点検の際、後部魚雷発射管から浸水し沈没、8日後に引き上げ同月24日退役 スレッシャー(アメリカ) - 1963年4月10日、死者129名マサチューセッツ州ケープコッド東方沖で潜航試験中に圧壊沈没し全員死亡。内部波ないし何らかの衝突に起因する配管からの漏水で、原子炉が緊急停止し、深度制御不能に陥ったと言われる。放射性物質漏出は無い。事故をきっかけに安全対策を大改革。 ミネルブ(Minerve)(フランス) - 1968年1月27日、死者52名トゥーロンの沖合約30kmで演習中に沈没した。原因は船舶との衝突やミサイルの爆発、換気システムの故障などが取り沙汰されたが、判明していない。沈没後、2度にわたり計18日間捜索したが発見できなかった。 2019年7月22日、トゥーロン沖45km、水深2,370メートルの海底で残骸を発見した。事故後50年の2018年10月、乗員の家族が捜索再開を強く求め、2019年2月に捜索を再開していた。 629型潜水艦K-129(ソ連) - 1968年3月8日、死者98名ハワイ諸島北西の水深4,900mの深海に沈没。全員死亡。原因は不明。 アメリカはこの沈没船体を極秘裡に揚収・取得する特殊作戦「プロジェクト・ジェニファー」を立案、そのための特殊サルベージ船と全没水式艀を建造し、1974年に船体の一部の揚収に成功したとされる。
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