津山市指定文化財
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重要文化財(有形文化財)神門(建造物)元は津山城二の丸にあった四脚薬医門。昭和50年(1975年)11月15日指定。 惣神殿(建造物)江戸時代、寛保元年(1741年)の造営。平成20年(2008年)10月30日指定。 中山神社戦国武将文書(古文書)美作を支配した戦国武将の戦勝祈願・奉納の文書。尼子晴久判物、毛利元就判物、毛利元就書状、吉川元春外三名連署書状、浦上宗景判物の計5通を、津山藩家老の長尾勝明が元禄3年(1690年)に1巻にまとめたもの。昭和50年(1975年)11月15日指定。 重要有形民俗文化財中山神社の太鼓室町時代、嘉慶2年(1388年)の作。ケヤキ材の一木造。銘によれば江戸時代の寛文-文政年間に5回の修復が実施されている。平成25年(2013年)4月23日指定。 天然記念物中山神社祝木のケヤキ - 昭和48年(1973年)10月20日指定。
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津山市指定文化財
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徳守神社神輿 現在の神輿は2代目であり初代神輿は、寛文4年(1664年)黒塗の神輿として新調され、明和2年(1795年)に修理された記録が残っているが現存せず。 現神輿は文化6年(1809年)岡崎屋伊兵衛らの発起により、氏子の総力を結集して金塗神輿が新調され、その後明治31年(1898年)に修理がなされ現在に至る。 この神輿の大きさは本体部分縦・横それぞれ1.7m、屋根部分たてよこそれぞれ2.1m、総高2.8m、重さは約1tといわれており、近隣に類例のない大きさを有している。 その大きさと美麗さから日本三大神輿のひとつといわれているが根拠は不明である。神輿巡幸では、交代要員を含め担ぎ手の総勢が170名程必要とされ、極めて大型の神輿である。一時期、担ぎ手不足により衰退が危惧されたが、地元の努力、あるいは大神輿の知名度向上により、現在ではその勇壮で勢いのある姿を目にすることができる。津山まつり(徳守神社)のメインシンボルである。例祭(10月第4日曜日)では、神輿ご巡幸に供奉を加えて行列の長さが500メートルにも及ぶ時代絵巻が繰り広げられる。このように長年市民に親しまれている行事であり、津山の誇れる文化遺産として評価され、平成10年8月4日に津山市教育委員会より有形民俗文化財の指定を受けた。
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