民進党・陳水扁政権とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 民進党・陳水扁政権の意味・解説 

民進党・陳水扁政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:59 UTC 版)

台湾問題」の記事における「民進党・陳水扁政権」の解説

民進党は、党綱領台独党綱中国語版))で「台湾共和国」の設立目標掲げていた。しかし、2000年総統選挙での政権獲得目指すため、中華民国存在承認し台湾独立放棄もしくは棚上げすることで主要派閥合意した。しかし、党内には急進派の「台湾独立建国連盟」に属する者や党外の協力者支持者にも配慮する必要があった。そのため党綱領と並ぶ基本文書として、台湾前途決議文1999年5月8日高雄開催され全国党員大会において採択し党綱領台湾独立棚上げすることが規定された。 四不一没有 成立当初陳水扁政権は、李登輝総統よりも保守的な方針を「四不一没有」で示した。そのため李登輝総統からは、自らの進めてきた中華民国台湾化に逆行する批判された。陳水扁は、1990年代から旧東西ドイツモデルとした中間協定の締結主張し1999年には当時林義雄民進党主席と共に中国とのFTA締結主張していた。2000年大晦日2001年元旦未明)には統合論を提示し、まずFTAなど経済統合から始め長期的に政治統合文化統合に至ると述べた。これは、「特殊な国と国の関係」論において、李登輝総統無視した特殊な関係」の実現目指したものであった背景には、米国中華人民共和国との交渉仲介するとの期待や、積極的に中華人民共和国交渉し条約締結することで、中華民国国家としての地位確定させるという目論見(「強本西進」論)があった。 しかし、中華人民共和国は「四不一没有に対して行動見守る」と述べるにとどまったFTA締結に対して一部官僚反応したものの、「強本西進」の目的気づきその後反応見せなくなった2003年香港CEPA締結後台湾にもCEPA提案した)。その一方で中華民国承認する国に、承認切り替え迫り続けた一辺一国 中華人民共和国態度軟化しないため、2002年陳水扁政権は「強本西進」から転換始める。また、2001年立法院選挙過半数逃し政権運営上、李登輝総統精神的首領とする台湾団結連盟協力が必要であったことも原因一つ数えられる陳水扁総統2002年8月民進党全国党員大会で党主席就任した。しかし、その当日中華人民共和国中華民国承認していたナウルとの国交樹立発表した台湾では中国の「引き出物」=嫌がらせ受け止められ面子潰され陳水扁総統は、同月世界台湾同郷会への挨拶で「中国台湾は、一辺一国(別々の国)である」と述べた中国はこれに反発。しかし、実際に陳水扁政権による関係改善向けた提案あしらった結果であった。こうして台湾政府中国との関係改善積極的で、具体的な提案行った時期終了した。ただし、その後陳水扁総統は、中国善意があれば、いつでも関係改善が可能との立場崩していない。中間協定統合についても、中国中華民国承認すれば協議応じる、と機会がある毎に述べている。

※この「民進党・陳水扁政権」の解説は、「台湾問題」の解説の一部です。
「民進党・陳水扁政権」を含む「台湾問題」の記事については、「台湾問題」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「民進党・陳水扁政権」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「民進党・陳水扁政権」の関連用語

民進党・陳水扁政権のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



民進党・陳水扁政権のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの台湾問題 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS