民進党への合流提案と撤回、吉田党首落選とは? わかりやすく解説

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民進党への合流提案と撤回、吉田党首落選

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:55 UTC 版)

社会民主党 (日本 1996-)」の記事における「民進党への合流提案と撤回、吉田党首落選」の解説

第24回参議院議員通常選挙2016年7月10日実施)では、選挙前5月12日吉田民進党へ合流常任委員会提案したが、福島党内から猛反発を受け、18日撤回謝罪追い込まれた。また、比例区における統一名簿構想(「オリーブの木構想)を生活の党とともに検討したが、民進党が「時間的物理的に困難」という理由断り結局参院選のみは単独戦った。 同選挙では、選挙区東京神奈川愛知福岡)は全敗比例区では改選数2のところ1議席しか確保できず、党の名簿内の順位が1位になった福島のみ当選吉田2位終わり党首落選という結党以来事態となった両院の総議席数も4となったが、比例区得票率2%超えたため政党要件クリアし、2022年まで延命果たした26日生活の党とともに参議院統一会派希望の会(生活・社民)」(生活3人、社民2人)を結成し会派代表には福島就任した(なおこの統一会派結成に伴い社会民主党への改称以来20年余にわたり使用されてきた会派名「社会民主党・護憲連合」が消滅した)。吉田今回選挙敗戦責任取って党首辞意表明していたが、9月1日行われた常任幹事会慰留受け入れて続投することとなった非議員の党首は、社会党時代飛鳥田一雄委員長当時横浜市長以来となる。

※この「民進党への合流提案と撤回、吉田党首落選」の解説は、「社会民主党 (日本 1996-)」の解説の一部です。
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