民進党への合流提案と撤回、吉田党首落選
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「社会民主党 (日本 1996-)」の記事における「民進党への合流提案と撤回、吉田党首落選」の解説
第24回参議院議員通常選挙(2016年7月10日実施)では、選挙前の5月12日、吉田が民進党への合流を常任委員会で提案したが、福島ら党内から猛反発を受け、18日に撤回・謝罪に追い込まれた。また、比例区における統一名簿構想(「オリーブの木」構想)を生活の党とともに検討したが、民進党が「時間的・物理的に困難」という理由で断り、結局参院選のみは単独で戦った。 同選挙では、選挙区(東京・神奈川・愛知・福岡)は全敗、比例区では改選数2のところ1議席しか確保できず、党の名簿内の順位が1位になった福島のみ当選、吉田は2位に終わり、党首が落選という結党以来の事態となった。両院の総議席数も4となったが、比例区の得票率が2%を超えたため政党要件はクリアし、2022年までの延命を果たした。26日、生活の党とともに参議院で統一会派「希望の会(生活・社民)」(生活3人、社民2人)を結成し、会派代表には福島が就任した(なおこの統一会派結成に伴い、社会民主党への改称以来20年余にわたり使用されてきた会派名「社会民主党・護憲連合」が消滅した)。吉田は今回の選挙の敗戦の責任を取って、党首の辞意を表明していたが、9月1日に行われた党常任幹事会の慰留を受け入れて続投することとなった。非議員の党首は、社会党時代の飛鳥田一雄委員長(当時:横浜市長)以来となる。
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